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涓滴が岩を穿つように

「生きて 俺達と ここで苦しめ」

久住の心臓を刹那揺らしたのは、志摩がまるで諭すようつぶやいた決して甘くはない一言でした。



MIU404全11話、完走お疲れさまでした。
何日経っても頭の中をこのドラマのことが占め続け、そろそろ日常生活に支障をきたしておりますので(笑)、言葉で吐き出して次のフェーズへ私も向かいたいと思います。

調べもの好きが高じて、需要はまるでないと思いますが拘置所などのリアル情報を交えています。虚構と現実、混ぜるな危険。

よかったら最後まで、ともに食べ尽くしていってください。


伊吹藍というひと

最終回で映し出された拘置所の外観は、本物の東京拘置所だった。

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伊吹は、恩師であり元警察官でありながら罪を犯し、勾留されているガマさんの元へ足を運ぶ。
差し入れは、シンプルな茶色い紙袋に入れた雑誌とパジャマだ。

拘置所により細かな規定は異なるが、原則差し入れ可能な雑誌は3冊まで。
ホチキス部分は紙紐に替えるなどのルールがある。
スゥエットズボンのウェスト調節部分に紐を使用しているものは、紐を取り除く必要があるが、パジャマにはその必要がないだろう。

ガマさん逮捕からどれくらいの日数が経過しているのか定かではないが、おそらく起訴後勾留の2ヶ月間に入っていると思われる。
いずれにせよ、裁判によって刑罰が決まっていない未決拘禁者だと思う。

未決拘禁者は、刑務所と同じように檻の中で身柄を拘束されるが、裁判が終わらない以上はまだ(形の上では)罪人とは違う。

しかし「覚悟を決めている」ガマさんの心はたぶん、未決囚の状態であるにも関わらず既に刑務所という檻の中同様のものであり、すべてをもう閉ざしてしまっているのだろう。
差し入れ同様に、伊吹の面会の申し出を受け取ることはしない。


多くの視聴者が案じた通り、そしてガマさんの望みに反して、おそらくガマさんに死刑を言い渡される可能性は低い。

とすればおそらく、いずれ刑が確定し即決囚となり、刑務所に移送されるまでの期間を拘置所で過ごし、移送先を「受刑者の家族」でもない伊吹には通知されることなく移送されてゆく。(ただし伊吹の職業柄、何かしらの情報を得ることは出来るのかもしれない)


刑務所では、私物として持ち込めるものが限られる。
パジャマは舎房着・工場着などと共に刑務所から支給されるもののひとつで、向こう側へ移れば私物のパジャマを着る機会はもうガマさんにはないのだ。


伊吹は、どんな思いでこの差し入れを選んだだろうか。

彼は、陣馬のお見舞い、ガマさんの面会、と、誰かのために時間を割くことをまるで厭わない。
「相棒殺し」の汚名を着る志摩のため、それを晴らすための時間と労力を注いだ。
敵対する久住に対しても一対一での対話を望む。

彼は、「今しかない今」、「今この一瞬」という時間の過ごし方を大切に生きているように私には見える。
そしてその価値観は彼自身だけではなく、相手にも重んじられるものだ。

誰よりも速く目的地にたどり着ける類稀な俊足を持ちながらにして、人生における1秒1秒の大切さを彼は忘れない。

だから、差し入れに現金でも食べ物でもなく、パジャマと雑誌を選ぶ伊吹藍というひとを、私はとても愛おしく思う。

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伊吹がこれらを選んだ本当の理由はどうしたってわからないし、妄想を爆発させるのは自己中心的な悪い癖だ。
ただ、私にはどことなく、「父の日」のプレゼントに選ぶ感覚に近いものを伊吹は選んだな、と。そんな風にも思いました。


【蛇足】
東京拘置所の差し入れ受付窓口と面会受付窓口は本来異なる。
また、差し入れは受け付けから数日を経て手元へ届けられるそうなので、この日返却された差し入れはおそらく伊吹がこの日よりも前に差し入れとして窓口へ届けたものではないかと思った。

尚、受付の整理番号は緑やピンクなど、面会フロアにより色分けされていて、本来であれば作中持っていたものよりはもう若干大きめの紙のようです。




無戸籍者の不利益


(作中で久住が無戸籍者だったという明確な描写はありません。私自身が今回初めて「無戸籍」について知り、関心を持ったので色々読んでみました)


もしも久住が何らかの理由で(システム構築時のバックドアにより戸籍を自ら抹消した、という推測も含め)本当に戸籍が無いのだとしたら、彼の生き方はある意味「まとも」なのではないかと感じたのは私だけなのだろうか。

(文中より抜粋)
入学もできない、パスポートはおろか運転免許さえとれない、健康保険証がないから病院にもかかれない、もちろん結婚もできない。もしも無戸籍の人が出産したら、その子まで無戸籍になってしまう。

この状況では、私たちがふだん意識しなくとも享受しているものの多くを、久住は同様には受け取れない。
であるならば、誰よりも賢くなくては生きていけないのだ。

私には久住が、当たり前に日常に在るものを誰よりも巧く駆使し、誰よりも世の中の仕組みを理解することで、当たり前に生活しているだけという印象がどこかに在った。
「何にも悪いことしとらん」は、おそらく彼にとって真実なのではないかと思うのだ。

しかしそこに、その先を慮る想像力は彼にはない。
と言うより、あったとしても彼にとってはどこまでも他人事である。

彼にとっての当たり前(=誰かにとっての凶事)が引き金となって、遠くの不利益と命の危険が生じているというバタフライエフェクトの結末に、彼はまったく関心を持てない。

でも、そうする義務が無いのも確かだと感じる自分はメケメケフェレットなのだろうか。
誰かにとっての当たり前を咎める権利は誰にあるのだろう?



このまま行くとおそらく久住は完全黙秘のまま、氏名不詳、身元不詳のまま法に裁かれることとなる。


(以下、文中より抜粋)
「明らかな現行犯で逮捕された人が、警察でも検察でも取調べで身元を明かさなければ、名無しのまま起訴されます。こういうケースは珍しいといえば珍しいのですが、過去に何度かはあります。起訴して有罪にできるだけの証拠があれば、検察は「名無し」のままでも起訴しますし、裁判で犯罪事実が十分に立証できれば、有罪になって刑務所に行くこともあるわけです。」

「呼び名に関しては、身元不明の犯人の場合、ほぼ100%、留置場や拘置所に身柄を拘束されているはずですので、そこの管理番号で呼ばれます。」

「当然、「名無し」のまま刑罰が下されます。正体不明の被告人は再犯の可能性が高いと思われて、軽犯罪でもいきなり実刑の可能性は高いでしょうね。」


(文中より抜粋)
実際に裁判に至る前、逮捕直後から完全に黙秘を貫き、氏名不詳のまま起訴され裁判を受け、判決が下された例もあります。しかし氏名や住所が不明であれば、当然ながら逃亡のおそれありとされ保釈は認められませんし、執行猶予付きの判決を得ることもありません。



調べた範囲では氏名不詳、身元不詳のまま行われた裁判の事例は下記記事の通り。特に関心がなければ目に留まらない記事かもしれない。


カナダでは身元不詳のまま7年間、刑務所に居座り続ける事例も。


そしてこの先、身元引受人も現れないであろう久住には数々の不利益が生じる可能性が高い。


具体的な刑期については、

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使用・所持・製造・輸入・販売・授与・購入・譲受などの薬事法違反で営利目的の場合、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金又は併科とある。
違法薬物製造責任は間違いなく問えると桔梗が話していることから、懲役5年以下はおそらく間違いない。

この他、「ドローン爆弾、殺人罪、殺人未遂で役満」と伊吹に称されたこれらが、もし立証されれば更に長い刑期となる可能性はあるが、久住本人も豪語していた通り、本人が口を割らない限り立証は難しいのだろう。

もしかすると近い将来、「刑期を終えたnot found」久住の処遇について、司法は頭を抱えることになるのかもしれない。
そして無戸籍者が増え続けることによりこの事例が現実に起こり得ることにも目を向けておく。


いずれにせよ久住は、少なくとも5年という歳月をこれから狭い檻の中で生き続けなければならない。

あんなに嬉々とした表情で生き生きと人を操っていた久住が。
ともすれば楽しげに躍動感に溢れ、判断も早く、最後までキレの良い知恵を見せ逃げ切ろうとする必死さも見せたのに。

逮捕されることによってその「彩(いろ)」を失くさなければならない。
彼にとっての「当たり前の生活」が出来なくなる不自由という矛盾。
ルールとは、誰のためのルールなのか。


「生きて 俺達と ここで苦しめ」

それこそが、志摩の言う「ここで苦しめ」ということなのか。

志摩たちは、これから久住がどのように、「なぜ苦しむのか」を理解していたのかもしれない。私は、その言葉の意味をどう解釈していいのか、一瞬迷った。


けれどそれでさえ、正しい答えは久住にしかわからないし、彼はきっと答えることを拒み続ける。誰かの物語に「成り下がる」ことも。

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MIU404のすべてに愛と感謝をこめて

苦しいこと、面倒なこと、苛まれること、傷つくことを、尽くひらひらと蝶のように避けてきた久住。

対して、不器用で愚直なまでにそれらを避けられず、ぶつかる以外やり方を知らないひとたちがいる。


志摩「強くて清くて正しい警察官でいることにもう疲れたわ」
伊吹「刑事を捨ててでも俺は許さない」
九重「うんざりするほど恵まれてますよね」
桔梗「悔しい」


なぜ、彼らは疲れ、苦しみ、苛んだり傷ついたりするのか。
確かな存在と名前を持った「自分」がいて、そしてその自分以外にも大切なものがあるからだ。

次々と襲い来る困難から逃げずに悩み、傷つき、選択し続けること。
自分と、自分以外の大切な誰かを見つけ、そしてちゃんと苦しめ。

「ここで苦しめ」には、そんな意味があったのかもしれない。

苦しんだ先にある、彼がまだ見たことのない光を見つけられるようにと、私はささやかに久住のため願う。
出所した堀内をガマさんがどうにも出来なかったように、誰にもこの先の久住をどうにか出来はしないけれど。世の中そんなに甘くはないけれど。


けれど、涓滴が岩を穿つように。

諦めずにスイッチを押し続ければ、最良の事態だっていつか訪れることもある。
なぜなら。


「生きていりゃあ何回でも勝つチャンスがある!」から。






今、この時でなければ届けられなかったであろう唯一無二の作品を産み、そして育ててくださった、携わったすべての皆さまに愛と感謝をこめて。
ありがとうございました。

この時代に生きられて、今日も私はとっても幸せです。


(勾留や法律などネットで見つけられる範囲で情報をかき集めましたが、何せど素人のため情報として引用するのに適していないものや、解釈の誤りなどもあるかもしれません。何卒ご了承くださいませ)



4機捜の皆さま、いつかまた逢いましょう。


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