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毎日note更新チャレンジ。3月11日。

9年前のことをツイートしたことは何度かあったけど、こうして何かに書き残したことはなかったので今日は少しだけ。


あの日はまず、仙台でひとり暮らしだった姉が被災してなかなか連絡が取れなかった。

まさか天災で身内を亡くすなんて考えたこともなかったし、正直そういう実感がまだなかったのと、あとはうちホントにちょっとサイコパスな家系?なので、姉が「生きてる」感覚が伝わってきてたというか。なんとなく。少なくとも命に別状はないな、という感覚があった気がします。(無事だったからそう言えるだけかもしれないけど)

ただ、実際震災を経験した姉の恐怖は想像以上だったろうと思う。

もう死ぬんだな、と思ったと。言っていた。

(余談ですが、震災のどれくらいだったか後に、当時私は所用で東京往復の航空券を所持していまして。それをどうにか、姉の帰省に回せないかと思って。仙台からは飛行機がたしか飛べない状況だったので、東京へ移動できそうなタイミングの日にちに予約をずらしてもらえないかと。電話でかけあったところ、航空会社の方は要望を全面的に聞き入れてくださいました。
9年後の今、今度は感染症で無料キャンセルを受け入れてくださっている航空会社のみなさん、9年前も本当に快く痛みを背負ってくれました。いつも本当にありがとうございます。もうずっと以前から変わらず感謝してます)


姉の無事がわかって、周りの方に助けていただきながらやっていけてることに感謝しつつ、次にやるべきことだったのは、陸前高田に住む親戚の安否確認と、パソコンやネットを扱えず安否確認が出来ないと途方にくれる親戚の皆さんの依頼で何人かの人を探すこと、でした。


特にTVで潰滅的な映像を目のあたりにしてた陸前高田は深刻だった。

けど、家が高台にあったのでおそらく無事だから、避難所の情報を集めることに。


叔母のお義母さんは気仙沼に住んでいる方で、津波直後から行方不明だった。
ここも潰滅的な映像を目のあたりにしていたので、まずは住所をもとにGoogleマップで震災前と震災後の画像を見比べてみた。(そういえば、この震災後の画像提供もGoogleは早かったですね…。ものすごいスピード感で動いてくださっていた人がたくさんいたんだと思う)

見比べた結果、ちょっとこれは無理かもしれない、と。

自宅があったであろう場所は完全に海に飲み込まれてた。



当時、幾人かの人探しを引き受けた私が感動すら覚えたのが、震災直後にみるみる立ち上がった、Googleのパーソンファインダーというシステムでした。

これは本当に、見事だった。

避難所の名簿の画像が次々とアップされていく。

あっという間に検索システムまで構築された。


そして私は実際、このパーソンファインダーで、同じく気仙沼の義母を探している、という方と出会い、連絡を取れました。
震災がなかったらおそらく出会うことも話すこともなかったであろう人たち。

それからこのパーソンファインダーに上がった避難所の名簿で無事に陸前高田の親戚も見つかりました。


今ごろになってこのリポートを読んで、
当時あのシステムがどうやって構築されていったのかを知りました。



あれを日夜必死でつくってくれた方たちがいる。

そして、私のように助けていただいたひとも少なくなかったのではないかと思います。


本当にどうもありがとうございました。
今ようやくお礼が言える。







叔母の気仙沼の義母は、あの日行方不明のままとなりました。
探していた大半の人は、無事でした。

生死について考えるきっかけのひとつだったことは間違いないです。


それと、土壇場に発揮される、「人間の良心」を私がかたく信じてるのは震災の経験がもたらしたものだと思う。何があってもそこは信じてる。今でも。


仙台でもうひとり、従姉妹が被災して居所を探していた時に、無事であれば避難しているか、もしくは水を汲みに来てるであろうと思われる小学校が判明したので、そこへ電話をしました。

対応してくださったのはその小学校に勤務する先生。

まだ大混乱のさなかで、ご自身も被災者であったにもかかわらず、先生は「人を探すために用意した掲示板が校内にあるので、そこに僕が貼り紙を貼ってみます。なので、探してる方のお名前とメッセージをください」って。
当たり前のように申し出てくれて。
逆境に耐える人は本当に強いです。


そしてほんとにその貼り紙を見た従姉妹から、連絡が来たのはそれからまもなくのことでした。


自分たち以上に、あの日だれかを案じ、探し回った方がいると思います。
私の経験したことも大きなうねりの中のほんの小さな一部で。

実際目の前でつらい風景も見ていない。
直接被災したわけでもない。

でも、関わった記憶、感じたものは生きてます。

なので絶対に風化なんてしないと思ってる。

先日、被災地のアンケートで「確実に忘れられていっているのを感じる」と答えた方が多かった。けど、私はそんなことない、と思ったよ。

逆に、忘れることは難しいとさえ思ってる。


3月11日がくるたびきっと思い出します。
悲しいだけじゃなく、人のために動いた多くの人たちのことを。
なんとか手がかりを見つけようと日夜フル回転したことも。


いろんなことはあるけれど、
最後はやっぱり人間を信じよう、と思えたあの日々に
私は感謝しています。



なんかうまいこと書けなかった。

でもこれでいいんですよね。

仕事ならたぶんもうちょっとうまく書くかも。(どうだろう…笑)


うまく書けないときは、素で書いてるとき。
ほんとに書きたいことほどうまく言葉なんて出てこないもんすよね。



今日も生きててよかったです!
自分も。

みんなも!





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