今年の夏、ちょっと不思議(かもしれない)体験をしたのでサラッと書き残しておこうと思います。
分類的にはスピリチュアル系のお話かな。
降りてきた
2020年2月9日、父の誕生日に面会に行ってすぐあとに。
病院のコロナ感染防止対策のため面会が無期限禁止となり、父と直接会えなくなってから丸半年経った8月、お盆を迎えました。
緩やかに認知症でもある父は、GWやお盆などの世間一般的にちょっと長めのお休みと認識される期間が来ると、自動的に自宅へ一時帰宅出来るものだ、と自分の中で認識してしまいます。
なので当然今年のお盆も、本人は帰宅するつもりだったみたいです。
が、当然帰れません。(もしコロナじゃなくても介護状況的にちょっと厳しいので、どのみち帰るのは難しいんです)
普段は病院スタッフの皆さんが逆に不思議がるほどに、家に帰りたがらない父なんですが、例えば誰かの法事がある、とか。そういう時ほど帰らなくちゃ、と思うタイプで。たぶん責任感なんでしょうね。季節の変わり目には帰って庭のことをしなくちゃ、とか。そういう感覚がずっと強いままなんだと思う。
そんなこんなで、お盆もだいぶ帰る気満々だったみたいで、でも結局帰れないし、これまで入院中にそんなことは1度もなかったけど、もし万が一帰れないことによって落ち込んだりとか、精神的に不安定になったら父自身がつらいかな…などと珍しく思った私。
なので、初めて父に遠隔でレイキヒーリングを送ってみることにした。
じつは父にはまだ、やったことがなかった。
特に送らない理由はなかったけど、送ろうとも思ったことがなかったから。
父に「事前にレイキの説明が出来ないから」っていうのもあったかな。
でも病院なら、消灯時間過ぎれば眠っているだろうし、説明なしでも問題ない、と。判断しました。(これはホント例外で、本人の許可なくは100%やりません、っていうか出来ません)
ちょうどその日は、8月15日終戦記念日でした。たまたまです。
やってみようかな、と思ったその日がたまたま8月15日だっただけ。
※…ここでちょっと話が逸れるんですが。
私と姉の間では意見が一致しているんだけど、自分たちの場合(だけなのかどうなのかがハッキリとわからないんですが)、遠隔でレイキを送っている最中に、何かの映像だったりビジョンなどが見えることが多いんですよね。
直接施術している時にもたまに何か見えることはあるんだけど、遠隔の時に見える確率が異常に高い。
うまく説明出来ないんですが…。
まぁなんか、「何かが」見えることがあるんです(笑)。インスピレーションみたいなもの。
私の場合は抽象的なイメージ画像が見えることが多い。※
で、お盆に父へレイキを送った時に、とある景色が見えた。
なんかすごく綺麗な、広い土地の、青い青い空の景色。
それと、「戦争」っていうキーワードが。
ふわっと。見えた。降りてきた。
見えたけど、「はて???」って感じで。
何が見えたのかよくわからない。
終戦記念日だから自分が勝手にイメージしたんだろうか?と思わないでもなかったんだけど。
でも、ふと思い出した。
父の本当の両親が終戦前と終戦直後に満州で亡くなっていること。
父はもしかするとそのまま残留孤児になっていた可能性もあること。
そうなっていたとすれば、私もこの世に生まれていなかったこと、を思い出した。
あー……、なるほど。
もっとちゃんと、その辺のことを知っておけ、ってことかな、と。
これはたぶん時空を超えて届いた孫娘への宿題?
そんな風に私はその声なき声を受け取ったのでした。
調べた
そんなわけで翌日から、それまできちんと聞いてこなかった父の幼少期のことを、父が書き残していた資料などを読んでちゃんと学び始めた。
私の父の父は、第六次黒咀子開拓団で満州に入植したひと。
私の父の母は、その満州で終戦の3年ほど前に亡くなっている。
父の父は戦時中、父の兄弟も連れて日本に一度帰国し、父たち幼子を預けて再び満州へ渡っている。
その後、昭和20年8月10日に東安駅爆破事件で後妻さんを亡くし、父の父自身もなんとか牡丹江方面へは移動したようですが、同年10月に海林で亡くなっていました。
ですので私の父は、本当の両親に育てられていない。
私自身も本当のおじいちゃんおばあちゃんのことは全然知らなくて。もちろん会えたこともなくて。顔も知らない。
こうして調べてみて、初めて知ったことばかりだった。
(ちなみに育てのおじいちゃんおばあちゃんはすごく優しい人たちでした。でも遠方なので片手で数えるくらいしか会ったことがなかったな)
✴︎
黒咀子開拓団のことは、ありがたいことにネット上にも情報が多く、また、数多く語られている開拓団の悲劇の中でもやはり東安駅爆破事件による犠牲者が多かったこともあって、色々な資料の中で足跡を辿れる。
私は祖父が父を連れてよくぞ日本へ帰国してくださったなと思うし、その帰国したタイミングが「最悪のタイミングではなかったこと」にも大いなる幸運を感じる。
おそらく昭和20年の終戦間際に、まだ父が現地に残っていたとしたら、帰国できた確率はゼロに等しかったのではないでしょうか。
そして父が母と出会うこともなく、私はたぶん生まれてない。
ちなみにですが、ネット上で見つけた黒咀子開拓団に関する貴重な資料も、最寄り図書館を通じて条件付きで閲覧することが出来ました。
タイトルだけではどんな資料なのか見当もつかなかったのだけど、手元に届いたそれは、全ページ原稿用紙に手書きの、コピー本。
これを残そうとしてくださった方々の思いのようなものが詰まった本当に本当に貴重な資料でした。そして名簿には祖父の名前がしっかりと刻まれていました。祖父が生きて、そして満州で亡くなった証を、この目で見れたことってすごく大きい。よりリアルに受け取ることが出来たから。
この資料をお借りするのに、多くの方の手をお借りしました。
この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
調べるにしても何をするにしても、1人じゃ出来ないことって多いですよね。自分だけの力じゃたどり着けないことも本当に多い。痛感する。
昔から自分の本当の両親のことは何ひとつ語らなかった父なんですが、仏壇の引き出しの中に、本当のお母さんの写真と、父の母への思いの丈が滲み出るような走り書きが残ってる。これも私は今年のお盆まで知らなかった。
それと、写真と一緒に一枚だけ切り取られたネガフィルムが残っていて。
もしかして本当のお父さんが写っているんだろうか?と思い、先日プリントを依頼してみました。
今日つい先ほど受け取りに行って来ましたが、期待していたのとは違い、父がブカブカの学生服を着て写っていました(笑)。いやいやいや、自分の写真かい(笑)。期待したやないかい。
受け取った
と、いうわけで。
声なき声として、ヒーリング中にこれらを受け取った私なんですが、結局何を受け取ったのかというと、本当の私のおじいちゃんからの強い意志というか、今も拳を突き上げるような思いみたいなもの。それを受け取ったんだと思います。
今回はおばあちゃんからのメッセージ性はほとんど感じなかったんだけど、おじいちゃんからの波動がやたらと強かったな、と思う。
でもそれはよくある、「戦死者のことを忘れないでほしい」とか、そういう類のものとはちょっと違って。
何て言うのかな。もっと強い自己主張みたいなやつ。
例えて言うのであれば、「俺はここで、生きてた!満州の虎林って土地を開拓して、夢半ばで牡丹江付近で死んだ!お前(←私)が今、何だか知らんけど受け取る力を持たせてもらったみたいだから、送っておくからな!」みたいな…?
なんかホント、こんな感じ。まじで。
自分で書いててこれがぴったりだと思った(笑)。
哀しい、よりは、俺頑張ってたぞ、みたいな。
苦しかった、よりは、俺は悔しかったんだ、みたいな。
そういう感じの波動だと思う。たぶん。
おじいちゃんは日本を飛び立ち、外国で頑張ってた。
そういう人だった!っていうことを把握できた。
それを知ったよ、わかった、伝わったよって。
言葉のやり取りじゃないけど。でも言葉よりも深いところで理解できた。
そんな風に感じた夏でした。
ちなみに誕生日を見たらおじいちゃんも、私たち姉妹と同じ射手座。
開拓スピリットのひと。
外でバリバリやりたいひと。
飛んで行ったら帰ってこない弓矢のひと(笑)。
ああ、なんかいろいろわかるなぁ(笑)、って感じ。血は争えない。
おじいちゃんに、ありがとうを言いたい。
父を日本に帰してくれてありがとう。
父は本当の両親を知らず育って淋しかったかもしれないし、想像以上に苦労もしたのかもしれない。ホントのところは自分にはわからない。父と私は別の人間だからわからない。
でも、おかげで私は、生まれてこれたので。
こんな幸運なことってないと思える。だからありがとう。
私も私の人生を思いっきりやる。好きなことやるから(笑)。
書き終えた
ここまでもし読んでくださった方がいたら、すいません。ぐだぐだで。
ずっとどうやって書いたらいいのかわかんなくて、9月になった。
でも書かないとだめなんだって思ってた、ずっと。
何故ならじいちゃんが書いてほしそうだったから。
あと、それと、これが一番重要で言いたかったことなのですが、
じいちゃんとこの時を超えた疎通?みたいな経験をしてから、不思議なくらい自分自身がラクになったんですよ。
たぶん、自分の内側に何らかの形で残ってた、隔世遺伝的トラウマというか、目に見えない心の傷だったんだと思います。
それって自分の痛みでは全然ないんだけど、生まれてくる途中で遺伝子のどこかに乗っかってきたイレギュラーな痛みなんじゃないかと思うんです。
そしてこの夏の出来事はそれを癒すための一連の作業だった。
いやホントすいません、うまく説明が出来ない(笑)。
けど、自分の中ではストン!とふに落ちて納得できてる。
何はともあれめちゃくちゃに私の心は癒えました。
たぶんおじいちゃんも、心残りだったんだよねきっと。
それは戦時中の多くの人が抱えたものでもあり。
無念とか。哀しみとか。誇り高さとか。いろんなもの。
何かの形で伝えたいと、みんなが願っているもの。
私がレイキを教わったこのタイミングでなければ、伝えられなかったものがきっとあったんだと思う。
まーでも、わかんないけどね。私が勝手に作り上げた幻想の可能性もなくはない。
けど、実際ずっと理由がわからないけど自分の心に長くひっかっかっていたものは、すっかりといなくなった。
理由がわからないし、誰のものなのかも判然としなかったけど、確かに心の中で哀しいと感じていた感情が在った。それがひとつ、消えた。消えたのだけは確か。
もしかして私のように、自分の身に覚えがないのに心に残っている傷とか、目に見えないトラウマ、意識していないけど常に根底に根を張っている「何か」を抱えてる人っているのかもしれない。
それがわからないまま、ずっとずっと引きずって生きていく人もいるのかもしれないってこと。書いておきたかった。
できれば、それらに気付くタイミングに誰もが恵まれるといいなと思う。願っている。
ここに書き残すことによって、何かのきっかけになるかもわからない。
ホント、何がきっかけになるかわからないから。
だから書き残しておきます。
目に見える傷、自覚している痛みだけでは解決出来ないものも、たぶんこの世にはあるんだと思う。
…どうでもいいけどこのnote、「たぶん」がめちゃくちゃ多い(笑)。何回「たぶん」って言ってるんだろう、数えないで…!!
あー、伝わるんだろうかこんなんで。
けどもうこれ以上うまくは書けなかったごめんなさい。
なんとか必要な人にだけ必要な時に届けば。それで良しとします。
ちょうど敬老の日に公開できることになったのも、偶然。
良い偶然でした。
それではまた。
ずっとこれを聴きながら書いていたので貼っておきます笑。
父の、そして祖父の、想いの色に近いのかもしれない。
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