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観光客が行かない函館の旅・後篇 四稜郭


函館市電

『函館×劇場版「名探偵コナン 100万ドルの五稜函館市電星」人気で函館市電もコンナとなり観光に一役かつています。
函館市内に10箇所あるラリースポットを巡って、5箇所でスタンプを集めると、オリジナルグッズがいただけるといいます。この10か所が今の観光スポットなのでしょう。

四稜郭

五稜郭はみなさん行かれる場所ですが四稜郭が近くにあることを知っている人は稀だと思います。また、知っていても行ったことがある人は皆無に近いと思われます。


五稜郭の北方約3km。
函館を一望できる緩斜面台地に「四稜郭」があります。東西約100m南北約70mで,幅5.4m高さ約3mの土塁が巡っており,その周囲には幅2.7m深さ0.9mの空濠が掘られています。

1868(明治元)年10月に五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は,新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築きますが,五稜郭の鎮守である北海道東照宮を守るために作られました。
旧幕府軍は士卒役200名と付近の住民約100名を動員して,昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させたといわれています。


四稜郭

私は五稜郭を横目で見ながら車を走らせて四稜郭に向かいました。五稜郭は観光客で大混雑でしたが、四稜郭の駐車場には三台の車だけです。
高台にあるので見晴らしが良く、桜も良く手入れされて満開でした。

もう一つの四稜郭


松前藩戸切地陣屋跡

松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭です。五稜郭は安政4年に着工していますからこちらの方が先に作られています。

北斗市上磯町の市街地から5kmほど内陸に入った高台にあります

西洋式城郭の「四稜郭」で、東側に稜堡が首を出した亀のような形をしています。
東側に飛び出した首の部分には6基の砲座が添えられ、17棟の建物が配され、松前藩士ら120~160名が駐屯していたと推測されています。
陣屋の西背後は山地で、東側が大野平野、南が海という立地なので、砲台の6門の大砲は、平野部からの攻撃に備えるかたちです。

明治元年、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍が現在の森町鷲ノ木に上陸すると、新政府軍(松前藩)の戸切地陣屋守備隊は応戦のために移動。

10月24日、新政府軍(松前藩)は、大鳥圭介率いる伝習隊と意冨比神社(おおひじんや=現在の北斗市本町)で交戦するもあえなく敗退。
この四稜郭(戸切地陣屋)に逃げ帰りますが、落城の危険を察して建物17棟に火を放って松前城などへとさらに敗走しています。





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