観光客が行かない広尾町の旅・後篇
(黄金道路)
広尾町は十勝平野の最南端で太平洋に面しています。
広尾町から断崖を縫うように、えりも町庶野までの33.529㎞を通称「黄金道路」(国道336号)と言います。
昭和の初期、断崖を切り開く難工事の末、7年の歳月をかけ竣工。
その総工費が95万円。当時としては黄金のごとく巨額が投じられたところから「黄金道路」呼ばれるようになりました。
えりもから十勝に抜ける道は、江戸時代には松前から根室に向かう役人が必ず通らなければならない場所でした。
広尾町の十勝神社に「東蝦新道記」と刻まれた版木が現存しています。
幕臣である近藤重蔵の従者が刻んだ漢文で、これが北海道初の道路建設を示すものだといいます。
近藤重蔵は択捉に渡り「大日本恵登呂府」を立てたことで知られていますが、その帰路、広尾から日高に抜ける険しい海岸線に新道の開削を命じました。
アイヌ民族68名に賃金を支払い、十勝のルベシベツから日高の境ピタタヌンケまでの山間部を切り開きました。その経緯を木版に刻み、十勝神社に奉納しました。
黄金道路は「日本百名道」に選ばれており、百名道完走をめざすドライバーの憧れの道路です。
夏は昆布漁を見ることができ、サーフィンのスポットとしても有名です。広尾橋からえりも方面へ車で5分程走るとフンベ地区に入ります。
ここに「フンベの滝」があります。フンベとは、昔このあたりに鯨が打ちつけられたことからアイヌ語で「鯨の獲れる浜」という意味で名づけられました。
滝の流れは地下水が湧き出したものが、直接道路脇に落下している珍しい滝で夏は涼を呼び、冬は氷柱となって自然の造形が私たちの目を楽しませてくれます。
広尾の観光
昭和40年の広尾町が根室本線帯広駅を起点とする広尾線の終点駅であった時代の映像があります。
広尾駅で降りた観光客は観光バスに乗車します。バスは海岸沿いを走り黄金道路に入ります。奇岩を眺めながら、今見ると大変危険と思えるトンネルを走ります。当時はこれが観光の一大コースで、襟裳を通って日高の様似までの旅行となります。日高本線の終着駅様似駅から乗車して苫小牧駅へ。ぐるりと一回りする観光コースでした。
広尾駅にはひと夏に30万人の観光客が降りるというのですから大変なブームでした。
途中「フンベの滝」→襟裳道立公園に入ると「百人浜」「襟裳岬」と絶景。
日高山脈が太平洋に突き刺さる襟裳岬では、先端の岩礁にまで降りて楽しんでおります。
もう半世紀も前の襟裳岬の映像ですから、現在のように整備されていませんので自然のままが映っています。
広尾港
2007年(平成19)に丸紅が中心になり、十勝港と道内最大級の飼料コンビナート建設が決まり、着工がはじまったので、この十勝港を見たいと思っていました。
十勝の農業王国と首都圏を結ぶ海の最短距離の位置づけは、海上輸送の拠点港として期待されていたのです。
コンビナートはアメリカから直接運び込まれる飼料の巨大建設です。
上の写真は、現在の十勝港です。私が訪れた時は工事中でしたが(左の大きな建物がコンビナート)、平成29年の十勝港の輸出入額は、対前年比91.8%の132億9千万円となり、7年連続で100億円を突破。外国船の入港隻数は80隻。
主な品目で見ると、飼料コンビナートで使う飼料原料が安定的に入っており、アメリカやブラジルからの「とうもろこし」が43億400万円(同106.7%)、中国などからの「大豆粕」が13億6,100万円(同67.5%)、などが主で、後は十勝管内の製糖工場で燃料として使用されている「石炭」や中国やアメリカからの「化学肥料」が4億1,000万円(同77.4%)です。
旧広尾線に代わり、帯広市と釧路市、北見市を結ぶ北海道横断自動車道が一部開通しており、将来高規格幹線道路が広尾町(十勝港)まで到達し中枢基地になるでしょう。
政治家・中川一郎
町の外れに平成9年に開通した天馬街道(日高の浦河町に抜ける道・この道は政治的問題で一時開削がストップしていました)があります。
この国道の入口近くに観光バスが止まっておりました。乗客は高齢者ばかりで「中川一郎記念館」の見学でした。福田赳夫内閣で初代農林水産大臣を務めた中川の出身地が広尾町です。
中川一郎は57歳で突然この世を去ってしまいますが、その死の真相をめぐっては未だに多くの謎が残されていいます。ちなみに、中川一郎の第一秘書だったのが鈴木宗男、中川一郎の長男が政治家故中川昭一です。
「北海の熊」と言われた中川一郎が十勝に果たした役割は大きなものがあったと思います。
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