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続・観光客が行かない襟裳(えりも)巡り

観光客がいかない「えりも町」の旅  
             
人口4,329人 (令和4年3月末現在)


NHKプロジェクトX

NHKプロジェクトXの主人公「飯田常雄」に会ってみたくなり、襟裳を訪れたことがあります。
襟裳岬に近いユースホステルに宿をとりました。(今はありません)
このユースは積丹半島神威岬のユース経営者が開設したのが始まりで、ユースの業界では良く知られた第一人者でした。
訪れた時は伝説のペアレント(経営者)は亡くなっていましたが、飯田さんに会いたいと言うと連絡をしてくれました。しかし、病で寝た状態ということで会うことはできませんでしたが一冊の本を渡してくれました。


かつての百人浜

現在はすっかり緑に覆われている襟裳岬周辺ですが、明治時代の終わりから昭和初期にかけては、まさに木一本生えていない広大な砂漠が広がっていました。

原因は、開拓民が燃料にするために木を切りつくしてしまったため森が砂漠化し、砂漠から飛ぶ赤土が、襟裳岬の海を茶色に染め、生活の糧である昆布を死滅させようとしていました。

緑が戻った百人浜

この砂漠化した大地を、再び緑の森に復元させるための壮大な治山事業が昭和28年林野庁によって開始されます。この事業は延々と続けられ、平成15年には実施50周年を迎えました。
この事業を開始から中心的な作業員として、また営林局(現在の北海道森林管理局)と地元とのパイプ役として事業の推進に大きく貢献してきたのが、襟裳岬に生まれ襟裳の海で育ったコンブ漁師の飯田常雄さんでした。

えりも緑化事業の半世紀 あるコンブ漁師の話

飯田さんが渡してくれた本

この本は「えりも岬緑化事業50周年記念事業実行委員会」によって作られたものです。

監修 北海道森林管理局  
語り 飯田常雄(いいだつねお)

昭和3年、えりも町襟裳岬生まれ。コンブ漁師の4代目として幼い時からコンブ漁に携わる。昭和28年、浦河営林署(現・日高南部森林管理署)による緑化事業の開始とともに現場の作業に参加。
以後50年に渡ってコンブ漁と緑化事業に従事。
平成5年にはその功績により緑化功労者表彰をうけた。
平成13年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」では、えりもの森づくりの生き証人として登場し、全国の視聴者に森の大切さを訴えた。

春が来ていた時の襟裳岬

飯田さんには会えませんでしたが、ユースにNHK室蘭支局のアナウンサーが取材に訪れました。番組で「襟裳岬」を取り上げるということで、ユースを伝手に人物の取材に来ました。
どういう経緯か、もう20年以上も前のことなので忘れましたが、これに私も同行させてもらうことになりました。

訪れた先は「元小学校の校長先生」の自宅でした。
昭和40年代に年間40万人の人が押し寄せた当時の状況を聞かせてもらうもので、映像になる前の取材段階でしたが意外な話を聞かせてくれました。
校長といっても、田舎のことですから在校生5人。

今は車社会で岬に到着した後は、黄金道路で十勝に向かうためユースもなくなりました。

当時の旅行者は、日高本線で様似駅まで来て、そこからはバスで襟裳岬を目指しました。岬に到着するのが精いっぱいで泊まるのが当たり前の時代でした。その拠点となったのが襟裳ユースホステルです。
とても正常の状態で寝泊りできるものではなく、廊下、土間、屋根の上まで寝袋を持って上がる始末だったといいます。校長はユースが近かったので良く訪れていました。

若者が話す言葉を聞いて愕然としたといいます。

「襟裳まで来たのに記念になるモノが何も無い。あるのは沖縄の砂ではネ」

旅行者

この言葉に「何か襟裳にしかないお土産を造ろう」と考えました。

ユースに集まり商品開発がはじまりました。
何せ訪れる七割は20歳前後の女性です。
そうして造られたのが「拾うと幸せになれる蝶々(チョウチョウ)貝」でした。
ユースから歩いて10分ほどのところに「百人浜」があります。

百人浜

「盛岡藩の御用船が遭難し、乗組員の遺体が浜に流れ着き、助かった者も飢えと寒さで亡くなり100人余りが犠牲になった」という歴史で名付けられた浜です。
この浜では変わった貝殻を拾う事が出来ました。楕円形で小さなアワビの様な形をした「オオバンヒザラガイ」と言う貝です。
この貝は1枚では無く、8枚の蝶々の形をした貝殻が縦に並んでおり、死んだり、カモメに食べられたりすると、その蝶々の形をした貝殻がバラバラになり百人浜などに流れ着きます。大きさは2〜3cmのサイズでした。
この蝶々貝でネックレスやブローチを造ろうとなりました。これであれば、自分でも造ることができるので浜に出て拾う楽しみもある。そうして、ユースの一角を工房にして造り方を教えればよい。 
これが、大いに受けて人気になったと懐かしそうに話してくれました。ユースに戻ると、お土産コーナーに蝶々貝が並んでありました。


ちょうちょう貝

その後、NHK撮影班が入り10分ものとして朝の番組で放映されました。




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