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北海道のむかし話35 砂金沢のザリガニ

砂金沢のザリガニ ー岩見沢市ー

玉泉園(今は廃業して跡地となっています)を、少し東山峠の方に行った右側の小高い丘に、この辺りで一番早く雪の融ける広い斜面があります。

丘の下には、きれいな沢が流れ、アイヌたちは、ポントネベツ(今の東利根別川)と名付けていました。
ポントネベツは、美しい小石(ジャスパー)のたくさんある沢で、よく、シカや小鳥が遊びにきていました。

アイヌたちは、その広い斜面に、矢じりなどをつくる小屋を建てていました。何人かの若者は、そこで作った矢じりを持って、近くの山に狩りに出かけて獲物を捕り、毛皮などを作るのでした。

そのポントネベツに落ち込む沢には、ザリガニや緋ドジョウがたくさん住んでいました。

ある日、酋長の息子が、昼休みにザリガニを捕りに来て、あちこちと小石を返しては、ザリガニを探していると、こがね色のザリガニが見つかりました。

息子は喜んで持って帰り、若者を集めて見せました。
その時、こがね色のザリガニがいいました。

「若い酋長さま。わたしを助けてください。そして、あの沢に住むザリガニや緋ドジョウを捕らないでください。そのお礼に、百年の間、どんなに雨が降らなくとも、ポントネベツの水は、枯れないようにいたします」

しかし、酋長の息子は、

「いや、そのくらいのことで、おまえを許してやることはできないぞ。もっと良いものを出さなければダメだ」



と、いいました。こがね色のザリガニは、

「それでは、若い酋長さま。あなたが毎日捕っておられた魚の数だけ、この沢に金の砂を流してあげましょう」

と、いいました。
そこで、酋長の息子は、ようやく、こがね色のザリガニを離してやりました。

その後、この地方に入ってきた和人が、この沢の魚を捕ると、必ず砂金が付いていました。和人は、我も我もと、争って魚を捕り、砂金を集めました。そして、いつか、この沢を、砂金沢と呼ぶようになりました。

けれども、とうとう、すべの魚を捕りつくしてしまったのです。
その時には、もう、どこを探しても、砂金は見当たらなくなり、今まで、たくさん泳いでいた魚も、ザリガニも、緋ドジョウもいなくなりました。
いつか、アイヌたちも、狩りに来ることもなくなり、ただ、沢のせせらぎがあるだけになってしまいました。



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