見出し画像

蝦夷の時代31 国縫川

長万部町の教育委員会を訪ねたことがあります

寛文9年(1669)、シャクシャインの軍団が松前に向けて攻めのぼり、長万部の国縫川(くんぬいがわ)をはさんで松前軍と戦います。


長万部の町史で、その記録や資料などが残っていないかと思い長万部町の教育委員会を訪ねたことがありました。
残念ながら戦いがあった場所は国縫川上流ということだけで、明確なものはありませんでした。

国縫の交差点

ところが、長万部町の砂金は国縫川だけではありませんでした。その資料が残っており新たな発見がありました。

昔から国縫川は日本海側に通じる交通の道標でもあります。

長万部は現在も国道5号(小樽回り)と国道230号(中山峠)が交叉し、重複して長万部市街地を通りドイブイン街道を過ぎると国縫で、230号は国縫川を上るように日本海の瀬棚(せたな)町に向かいます。

シャクシャイン慰霊リレー




今はアイヌ問題に光があたり、戦場があった場所に碑が建てられています。
写真はその碑ですが、場所は旧長万部の学校た土地に建てられており実際には国縫川に沿って奥になると思われます。


2019年9月、長万部町とアイヌ協会の共催で350年前にシャクシャイン軍団が静内から行進した経路を逆にたどる「慰霊リレー」が行われました。



9月7日に国縫の古戦場跡碑を出発して、徒歩と船で13市町約240キロを延べ300人が参加。
この太平洋岸をシャクシャインロードと名付け、9月23日に開かれる「シャクシャイン法要祭」でゴールとなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?