観光客が行かない歌志内市の旅・前編
歌志内(うたしない)市名の由来は、アイヌ語のオタ・ウシ・ナイ(砂浜・についている・川)によるものです。
これを意訳した地名が「砂川」になります。
市内を流れる「ペンケウタシュナイ(上歌志内)川」がこれに該当します。
明治23年、北海道炭砿鉄道会社空知採炭所として開坑しますが、この空知炭砿は安政年間に露頭が発見されていました。
翌年には砂川からの歌志内線が開通し「ヤマの町」として発展していきます。
鉄路が先に敷かれて人が入っていきました。鉄路は山中に延びて住宅は山の上に何層にも重なるように建てられていきました。
規模拡大しながら15の炭砿を抱え、歌志内市の市章は黒ダイヤと呼ばれる石炭をイメージしたものになっています。
東北出身者などにより開発が進み、明治39年に村制、大正11年に赤平村分村、昭和15年町制、昭和33年に市制施行しています。
悲別ロマン座 (トップの写真)
悲別ロマン座は、1984年に放映されたテレビドラマ「昨日、悲別で」においてロケ地として使用された架空の建物名です。
旧上歌会館(きゅうかみうたかいかん)で、歌志内市に今もあります。
昭和28年に旧住友上歌志内砿の職員厚生施設(映画館)として開館しました。往時は映画上映や舞台公演、有名歌手の歌謡ショーなどが催され賑わっていました。
年間生産量約70万トンの石炭産業で栄え、ピーク時の昭和23年(1948年)には約46,000人の人口を記録。
その後、石炭産業の衰退により減少し昭和63年に歌志内線が廃止され、最後に残った空知炭鉱も平成7年(1995年)に閉山し人口も最盛期の2割程度となりました。
昭和56年(1981年)以降、長らく人口が1万人に満たない唯一の市でした。
同じ空知管内の平成24年(2012年)10月に三笠市、平成25年(2013年)6月に夕張市、令和元年(2019年)9月に赤平市が人口1万人を割り込んだため唯一ではなくなったものの、平成19年(2007年)11月には北海道の町制施行基準である人口5千人を、平成26年(2014年)には4千人も割り、日本一人口の少ない市となりました。
2009年度には財政健全化団体に指定されるなど、厳しい財政状況に立たされています。
スイスのチロルをイメージした街造り
炭鉱の街の記録を残すべく、大型採炭機の展示に加え、レプリカやハイビジョンシアターなどを備えた郷土館「ゆめつむぎ」があります。
かもい岳ゲレンデのふもとの「かもい岳温泉」や「チロルの湯」も整備されレクリェーション施設も充実しています。
こもれびの杜記念館
明治30年、空知炭鉱の社員合宿として建設された建物を増改築し昭和29年から接待専用の倶楽部となった旧空知炭鉱倶楽部は「こもれびの杜記念館」として公開されています。
何度か訪れている歌志内市ですが、今年訪れた時に活気を感じました。
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