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観光客が行かない滝上巡り・前編

上紋峠越え(滝上町と士別市)



上紋峠

上紋峠(じょうもんとうげ)は、道道61号士別~滝上線にある峠です。
標高は800m。峠の名称は士別市が属する川郡から「上」、「紋」は滝上町の属する別郡からで、トンネルはなくシェルターが長く続くのが特徴です。
15年以上前になりますが、滝上(たきのうえ)町の芝さくらを見に行った帰りに峠を通りました。冬季間は峠を挟む約27kmが閉鎖されています。
峠を挟んで、滝上町札久留(さくる)から岩尾内湖畔間には人家はありません。5月の下旬でしたが車に出会うことはありませんでした。

ところが峠近くに入ると景色が一変します。
樹氷が一面に広がり、太陽の光でキラキラと輝いているのです。これにはびっくり。とうとう車を停めてしばし携帯カメラに収めました。
当時の携帯写真なので写りが悪く公開できないのが残念です。

峠前後の景観は、白樺林と原生林、丸みを帯びた北方的な山岳風景で、峠の南方が北海道第二の大河天塩川の源水天塩岳です。峠を下ると岩尾内ダムを横目に見ながら朝日町に入り、私の故郷上士別町となります。

観光客が行かない滝上町の旅           



旭川からオホーツクに向けて2時間で人口2500人の滝上町に到着します。
今は比布町から無料の高速道路が浮島ICまであるので便利になりました。
滝上町といえば「芝桜」で有名になりましたが、芝桜は他の町でも取り組んでおり観光競争が激しくなっています。滝ノ上が元祖です


滝上芝桜の誕生

5月の下旬だというのに気温が上がらない寒い年でした。
芝桜も半分程度で満開にはほど遠い状態。
しかし、甲子園の7倍の広さがあるという、この山一面に広めた先人のことが気になりました。
地元の人たちが会場の設営をしていたので「滝上町に開拓で最初に入ったのはどこの県の人ですか」と訊ねると、「四国だよ」と教えてくれました。
やはり、田舎では自分の町のことを良く知っているのだと感心。

その後、気になったので滝上町についていろいろと調べてみました。
町名の由来は、ポンカムイコタン(渚滑川)の滝の上にあることで名付けられたといいます。
明治38年 高知県人西森亦吾が上渚滑原野52線に入地したのがはじまり。
明治40年初めて「滝上」の地名が北海道地図に現れます。
明治41年上渚滑原野40線に渚滑第二教育所(後の滝下小学校)開校され、明治42年愛知県人斉藤伊太郎が元町で日用雑貨商を営んだのが、本町商業者の元祖ということでした。
昭和29年、洞爺丸台風の被害により滝上公園の桜の木が壊滅状態になります。
当時、この公園を管理していた片岡さんという人が、昭和32年お寺の境内に咲いていた芝桜に心をひかれミカン箱一つを譲り受けて公園の片隅に植えたのが「滝上芝桜公園」のはじまりでした。

昭和34年、片岡さんの友人で朝倉さんが町長になったのを契機に、芝桜公園として本格的な造成がはじまります。行政ならびに住民のボランティアにより、根分け増殖され日本国内最大級の面積を誇る芝桜公園となったということです。
5月から6月に開かれる「芝ざくらまつり」では、花のじゅうたんを空から眺めるヘリコプターの遊覧飛行などもあります。


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