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イラストレーターになる事を諦めたらイラストレーターになっていた話


私がイラストレーターになったきっかけは、大変情けない理由です。

10年近く前、うつ病を患いつつ動けない体を引きずりながら毎日怒られつつ飲食店に向かっていた頃、頼りにしていたのは自分のクレジットカードでした。数年経ち、リボ払いの現実が押し寄せていた頃、司法書士さんを通じて債務整理を行った事もあり、5年前くらいから、一括払い以外は現金のみの生活を強いられました。

2018年頃、持病の子宮内膜症が、子宮腺筋症に変化し、月経の度に強い痛みとおむつが必要なくらいの多経血に悩み始め、日に日に飲食店で働ける時間は減っていきました。

この頃には覚えの悪い特質をもつ私でも、フロア業務には慣れていて、飲食店側から配慮して頂きながら心苦しくも、土日祝日の昼ピーク時、数時間だけ働くという事を繰り返していました。

しかし、コロナ禍で飲食店の仕事が不安定になり、元々持病のある私は、仕事に行く事にリスクというストレスを感じ始めていました。

もう辞めたら?と実家や夫から打診がありましたが、私がその場を辞めるということは、すべてが初めから、リセットされた状態でLv.1から仕事をスタートさせる事と同じ意味を持ちます。

ADHDタイプの思考を持つ特性上、覚えが悪く、複数の動作が同時に出来る様になるまで時間がかかる私は、同じような内容でも、それが同じだと気づくまで時間がかかるため、仕事を変えることはできませんでした。

家は片付かず、家にいて、趣味のお絵描きをして、調子のいい時に家事をする日々でしたが、ある日夫から、

「家事も仕事もせず、働かないで家にいるだけなら俺が家の事を全部して、好きな事をして寝ていればいい」

という言葉を投げかけられ、それではいけないと瞬間感じた時には、自分の今まで持っているものはなんだと考えました。

売るものは売ってしまいました。

ゲームなどは主人が購入してくれたもので私のものではありませんでした。

残っているのは、
趣味と決めて仕事にはしないと決めていた
イラストを描くための

ペンタブ
パソコン
飲食店が厳しい事実
病気でいっぱいの身体
生放送で雑談していた経験
友人からもらった数件の有償依頼
同人誌即売会のサークル参加経験

こんな感じでした。
趣味には結び付きますが、仕事にするには
どうしても弱いものばかりでした

まだなんか無いのかと探したら
一番大事なものを発見しました

見栄もプライドもなくごめんなさい
お願いしますと頭を下げる経験です


生きる事を許して下さい
ゲームする事を許して下さい
働けない事を許して下さい
片付けられない事を許して下さい
お金が返せなくてごめんなさい
職場に迷惑をかけて申し訳ありません
おおきな失敗をして申し訳ありません


こんな私でも、長い間趣味でイラストを描いてきました。お金を頂いて描かせて下さいよろしくお願いします。


これだ。と感じた時に、一つのアプリを
思い出しました。一枚の立ち絵からキャラクターを動かせるというアプリの存在です。

生放送をしている際、無償依頼で立ち絵を
描いて欲しいとの事でしたが、もうその時は絵を描く気力も仕事をする気力も限界でお断りした案件でした。

私の絵が瞬きして、口が動かせて、雑談できたら、その絵がモデルになってくれて、お仕事をさせてもらうきっかけになるんじゃないだろうか。

そんな邪念を持ってIRIAMというアプリに飛び込みました。

これがお仕事をする事、さまざまな業種、また同業の方々との出会いに繋がりました。最初はわからない事だらけで頼んで下さる方々にご迷惑をおかけしました。

今でもうまく伝えられるよう試行錯誤する毎日です。日に日にイラストが仕事になっていく実感とプレッシャーも感じながら、今は体調が悪い時は休み、起きて気分がいい時に仕事をする事ができるようになりました。

支えて下さっているアプリ関係者の皆様や、応援して下さる家族、心療内科主治医の先生に感謝しつつ、初回のnoteとさせて頂きます。

ここまでお読み下さった方
ありがとうございました。

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