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友達にイエスが生贄にされた流れを簡潔に伝える為の文章

基本的に許しっていうのはタダでは行われなくて、必ずなにがしかの生贄が必要でしょ?

良く使う「ごめんなさい」も加害者が被害者に対して自らのメンツを明け渡して捧げ、被害者がそれを恭しく受け取ることで初めて成立する儀式だよな。


自らの持ち物から、相手にとって価値あるものを捧げなければ許しの儀式は成立しない。先に加害者が贄(ごめんなさい)を捧げなければ、被害者側も許すことが出来ないようになっている。

人類が神に許されるにしても、人間が人間の持ち物の中から、神にとって価値ある何かを先ず捧げて、それを良しと受け取ってもらわないことには、神も人類を許すことが出来ない。

しかし、基本的に神と人間では何から何までスケールが違って、人間は皆小さく弱い。
とても神から尊いと思えるような、実際に、物質的に価値があり、神にとって本当に嬉しい。というような宝物を人類の手から生み出し捧げることは絶対に出来ない。つまり、謝りようもないのだ。

「やっちゃった過去はどうにも出来ない上、謝ることも出来ないじゃん。もう好き放題やっちゃえ。逃げちゃえ遊んじゃえ罪を無かったことにしちゃえ。」と放逸する現状があり、それは今も続いている。過去は消えないから、原罪は今なおある。

人類の歴史の中で目を逸らし続けた時間が長すぎて、いつの間にか記憶から消え、無かったようになっているがしかし、俺たちは皆アダムとエヴァの子孫なので、血に刻まれている罪悪感が確かにある筈だ。


俺がお前から借りた本を間違えてビリビリに破いてしまって、それによりお前に激怒されることを恐れ、逃げ出し、音信不通になってゲーセンに引き篭りコインゲームをやり続けていたとする。


お前は勿論怒るだろう。だけど、お前は俺のことが好きだから、怒りつつも心の底では「逃げずに一言謝ってくれさえすれば、許すことが出来るのに…仲良しに戻れるのに…」

と、寂しくもどかしい気持ちになるに違いない。


これは神もきっと同じだったはずだ。
何故なら神様は人類のことがめっちゃ大好きで、溺愛していて、甘々で愛しているから、はやく仲直りしたい。と超思っていたはずだ。また楽園で一緒に遊びたい。帰ってきて!
と身悶えしていたように俺は思う。


でも、もう人類もどうしたらいいかわからないし、手の打ちようが無いことも神はわかっていた。
そこで神はもう、いい加減人類のことを許したすぎて、マジで滅茶苦茶な事をやった。


神様自らが、完璧に人間的で、かつ神であり、神様自身にとって価値ある分身(御子)を人間界に与えて、それを擬似的に1度人間界で殺し、人間界から神への「捧げ物」という形をとることで、これを「ごめんなさい」と認め、人類を皆許してあげることにした。

その捧げ物こそ、完全に人間の属性を持った上で、かつ神であり、唯一神の分身である「イエス・キリスト」ということなのだ。

人類は特に何も頑張らず、ぜーんぶ神がお膳立てをしてくれて、許しの儀式を殆どやってくれた。

神様は超偉いのに、人類のことが好きすぎて、人類を許したすぎて、仲良しに戻りたすぎて、何それみたいな茶番を打った。

これマジで滅茶苦茶なことだと思う。意味がわからない。神、人類に対して甘いにも程がある。


だから、もうここまでやったんだから、ここまでやってくれた神に感謝して、イエス・キリストが人から神に対する生贄で、「ごめんなさい」である。と認めれば、人であるお前も謝ったということで、楽園に入れてあげますよ。早く帰っておいで。
遊ぼ遊ぼ。遅いよ君たち。

というわけなのだ。

だから、俺たちはイエス・キリストが「ごめんなさい」してくれたことを信じなきゃいけない。それを信じないと、「ごめんなさい」が無いのだから、許しもなく、楽園に帰ることも出来ない。それは神も悲しい。

というのが宗教家がよく言う「イエス・キリストを信じるものは皆天国に行く」「神と和解せよ」みたいなゴリゴリワード。

もう謝罪が済んで和解している事実を認めず、
「いや!まだ誰も謝ってないから許されてない!コツコツ人間が出来ることをやって神様に許されよう!」とか「いや、神を裏切ったなんてことは無かったよ。好きに生きよう。楽園とかない」とか言う人が多い。


そういう人たちに
「一旦はるか過去に過ちがあったことも認めよう、そんで、その件はもう謝罪が済んでて、被害者の神も俺たちを許すって言ってるから、謝罪が済んで和解があった事実だけ認めてくれ!そしたらオールグリーンなんだ!」


と声を張り上げているのがクリスチャンの皆さん

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