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アニメーション「耳なし芳一」をつくる

僕は2011年から怪談「耳なし芳一」をアニメーションで作っています。途中何度も制作がストップしていましたが、その間も通り抜けたいトンネルの前にずっと立っているような気持ちを頭の隅で感じていました。

断続的に制作を続けてきた現在の地点が(2 分ほど)がここから見れます。

最終的には約 10 分の作品になる予定です。

この10年の間に自分を取り巻く環境や状況、心境など様々な変化がありました。今映像を見返すと、その時にしか出来ない様な表現や今では作り直したい箇所もあります。良くも悪くもそういった様々な時間の集積を感じます。やはり作らなけばならないという思いは依然として僕の中にあり続けました。
今年この企画が助成制度に採択され、そこで完成予定を2022 年の12月と決めました。

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なぜつくりたいのか

子供の頃に読み聞かされた「耳なし芳一」はとても怖くて、軽くトラウマになるような話でした。しかし同時にとても怖いけれどどこか惹きつけられるものも感じていました。

アニメーションを作り始めた頃、僕は夢や瞑想状態、意識下で起きている事象のような題材に興味を持っていました。

(夢で見たイメージから着想を得て制作した「黒いロングスカートの女」トレイラー映像、2010年制作)

そしていつしか自分の手で「耳なし芳一」をアニメーション化したいと思うようになりました。この物語は自分が描きたいテーマと近い気がしたからです。そこで僕は子供の頃に見ていた TV アニメの「まんが日本昔ばなし」に出てくるような⺠話的なアニメーションと、アニメーションを作り始めてから影響を受けたノーマン・マクラレンの"A Phantasy in colors"のような音楽と映像が渾然一体となって展開してゆくような実験的なアニメーションを組み合わせて描くことで世代や国籍を飛び越えて物語の輪郭やイメージを共感覚的に伝えることは出来ないかと考えました。
言い換えるなら民話からサイケデリックな要素を抽出して描くみたいな感じかもしれません。

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ストーリー

「耳なし芳一」は120年くらい前に出版された小泉八雲の「怪談」で広く知られている物語です。元になったお話はそれ以前から伝えられて来た民話です。

盲目の琵琶奏者の「芳一」という人物が主人公です。 平家物語を琵琶で語るのがとても上手かった芳一は、平家の亡霊に取り憑かれてしまい毎晩彼らのために平家物語を演奏します。 しかし芳一が住む寺の和尚さんは、毎晩芳一が平家のお墓の前で演奏している事に気がき、このままでは芳一は亡霊にとり殺されてしまうと心配します。 和尚さんが芳一の体中に般若心経を書くと亡霊からは芳一の姿が見えなくなります。
しかし耳にお経を書き忘れてしまい亡霊は芳一の耳だけを持って行ってしまいます。 この不思議な出来事と共に彼の琵琶の腕前も大変評判になったというお話です。

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興味深いところ

僕にとってこの話が興味深い理由の一つは、目に見えないものと見えるものの関係だと思います。

「亡霊」が和尚さんには見えず盲目の芳一には感じることができたり、体にお経を書くと亡霊には芳一が見えなくなったり、最後に亡霊が芳一の耳を取ることで亡霊の存在が誰の目にも分かったりすることなどで、3つの違った視点が組み合わさる事で一つの物語が成立しているところです。この物語は本当の意味で他人と視点を共有し合うというのはとても難しい事だと言っているように感じます。

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「 平家物語」の語りや体に書かれる「般若心経」の無数の文字もアニメーションで描く上でとても面白い題材だと思ってます。 「耳なし芳一」という昔話の中に「平家物語」という昔話が入っていて「平家物語」の中にも別の昔話が入っています。昔話の構造の面白さもこの作品の中にとり入れていきたいと思っています。

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(「耳なし芳一」制作のための映像と音の覚え書きなどが書かれている長いメモ)

物語性と非物語性の両方を意識する

昔から民話は口承で伝えられて来ましたが、言葉で「語る」事とアニメーションで「語る事」は少し違った方向性を持っていると思います。アニメーションの「動き」は見る側の経験や解釈に委ねられる割合が大きいと思います。見る側が「動き」や「音」に物語を見出すかどうかの余地があるところはアニメーションの魅力の一つだと思っています。例えば幼い子供はシーンのカットを理解できないと聞きます。カットされた時間や回想シーンなどを物語の文脈で理解する事が難しいそうです。しかし幼い子供がアニメーションを楽しめないかというとそんな事はないです。「映像の約束事」を知らなくてももっと感覚的にシーンをすくい取って楽しんでいます。音楽みたいに。それは民話を語る上で異なる文化的背景を持った人にも近い事が言えると思います。「平家物語」や「般若心経」の漢字の意味を知らなくても面白いと思えるようなラインを探してゆく事、そういった「物語性/ナラティブ」と「非物語性/ノンナラティブ 」の両方を意識してゆきながら「耳なし芳一」をアニメーションで描く事が僕のテーマの一つです。

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手法

手法は切り絵アニメーションをベースに、貼り絵、ドローイング、立体、プロジェクタ ーによる投影などを組み合わせながらコマ撮りで制作します。
舞台は800 年前の日本ですが、コマーシャルや飛行機や惑星探査機などのモチーフを「般若心経」などと重ね合わせて登場させたいと思っています。

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(飛行機の立体を試作しているところ)

音楽

音楽は、電子音楽家の SUGAI KEN さんにお願いしています。 彼が作り出す音の世界と自分のアニメーションが組み合わさる事や彼と共同作業できる事も今回とても楽しみなことの一つです。

琵琶の演奏は現時点では僕が行う予定です。琵琶の伝統的背景はリスペクトしつつ自分なりの方法で表現する方がこの作品には合っているのではないかと思いました。まず自分の身の回りで手に入る材料で琵琶を作り、レコーディングを行います。
これはうまく行くかは実際にやってみないとわからないことでもあるのでその都度様子を見ながら考えたいと思っています。しかし物語の中で芳一と亡霊をつなぐ重要な役割である琵琶を自分なりに調べながら作ってみて、それまで僕が抱いていた漠然とした楽器としての琵琶のイメージや構造がより鮮明になった事は確かです。

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(制作中の自作琵琶)

映像と主人公と視点の関係について考えてること

2016年に中山うり「青春おじいさん」というMVを制作しました。あるおじいさんの最後の一日という設定で画面に貼り絵をしてゆく事で風景を少しずつ変えてゆくという手法で制作しました。その時僕は、主人公の視点がストーリー全体を支配するという構造にどこか疑問を抱いていました。世界は同時進行で様々な事が起きているからです。

そうではない方法で世界を描く事をしてみたいと思い、シーンの切り替えやカメラワークを排除して画面全体でいろんな事が曼荼羅の様に変化している中に主人公がウォーリーのように小さく居て、変わりゆく風景の中にやがて消えてゆくという様な事を試みました。↓

(「青春おじいさん」2016年制作)

「青春おじいさん」で試した手法にカメラワークを加えて翌年に制作したのがSE SO NEONのMV"A Long Dream"です。主人公は鳥だという事を忘れて都市で生きる少年の話ですが、この作品でも同じようなことを考えていました。主人公に寄り添った目線でストーリーを語るのではなくて映像世界全体で様々な事が起きている中でカメラが様々なイメージを写してゆきながらその変わりゆく世界の中で主人公が飜弄されている様を描く事を試しました。↓

("A Long Dream"2017年制作)

2017年、Eテレ「シャキーン!」の「終わる瞬間」というMVでは明確な主人公が居ないかわりにメインになる事象がどんどん移り変わってゆく「変わる事」が「主人公」になるような表現を模索していました。

「耳なし芳一」で僕が今回試したい事は見えるものと見えないものをどのように表現するかというところです。一人の視点からだけでは語る事ができない物語だと思っていてそこが興味深いと書きましたが、それをどう表現するか現在試行錯誤しながら進めています。

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(耳なし芳一絵コンテより)

これから「耳なし芳一」の制作がどのような道のりになるかは未知な部分もありますが、2022年12月完成、2023年公開を目指して進めてゆきます。

シーケンス 01

長いトンネルの先がどんな景色に繋がっているのかはわかりませんが、トンネルの冒険が出来る事を楽しみながら進めていきたいと思います。

2021年11月土屋萌児

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