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記録魔

私は結構、記録をつける派である。

一年間の手帳も、コラージュなどをしながら
収入 出費 ほしいもの 買ったもの
Netflixで観たドラマや映画 など、色んな事を書き残している。

3年間日記も、一年間空白なく書き切る事が出来て 少し自信に繋がっている。

スマホでは、クローゼットアプリで毎日着たお洋服を記録している。

毎日の喫煙本数もだ。

昔から、ブログなど記録を残す事は好きだったが SNS は黒歴史になりやすく、ある日恥ずかしくなって消してしまう。
デジタルタトゥーというものを経験したことはあまりないのだが、自分だけがわかればいい事は、自分の手元で残せばいいのではないかと。

しかし、ここ数年 感情というものは、あまりどこにも残していない。

あれ食べた 美味しかった
これやった 楽しかった

くらいである。

感受性死んだんかと思う位あっさりしている。
思春期を過ぎ、多感な時代も越えて
こんなもんか とは思う。

あんまり頭が回らないというのもある。

頭の中が思考でいっぱいでぐるぐるして
ピリピリ ギラギラした時代はしんどかった。
しかも、誰にも分かって貰えないと感じる事や、頭でわかっても心が追いつかない事
苦しかったと思う。

そんな時期を乗り越えて、今 わりと平和が訪れている。
嵐の後の静けさ からさらに時が経ち
私の心は 人里離れた田舎で一人ほそぼそと暮らすような たまに客人が来たら「おや、めずらしい」と言ったような。
そんな状態である。

正確には、そこまで悟りきった仙人のような状態が常に続いているわけではないが、そんな日が多い。

まあ、家族もいるし 仕事もあるし、
そんなに成長を止めるような ただ息してるだけみたいな事ではいけないと思うのだが、

勉強をガツガツ頑張ったり
何かに寝る間も惜しんで取り組んだり
そういった事をするのは 体がもたなくなってきている。

正直、手帳も日記も、ワンチャン noteもスタエフだって 後で見返しても 面白いものではないのかもしれない。

しかし、あえて この淡々とした日常を残しておくのも意味付けできる日がくるかもしれない。

単純に、頭の体操にもなっているのかもな。

何も残さなければ、昨日何食べたかも忘れてしまうような毎日だから。

人にシェアできるような毎日ではないけれど、
コンテンツとして見て楽しめる伝え方とかの技術とか経験を積んでいきたいと思う。

人生を楽しもう。

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