見出し画像

保育をジャズのように

私はジャズに詳しいわけでも、奏でられるわけでもない。むしろどちらかというと、事前にあれこれ考えすぎて動けなくなってしまうタイプ。でも、だからこそ、ジャズの即興性にワクワクする気持ちを大切にしたいと思っている。

ビル・ストリックランドが、著書『あなたには夢がある』の中で語った一節がそんな気持ちを鮮やかに表現してくれていたので、書き留めておきたい。
※彼は貧困地域で育ち落ちこぼれだった高校時代に、陶芸というアートが人生を変えた経験から、スラム街で少年たちのためにアトリエを開きそれを事業として展開していった。その功績が認められハーバード大学教育大学院で講座も持っている。

「ジャズプレーヤーはソロに入るとき、勇気を出して一か八かの賭けに出る。奏でる音、フレーズ、ちょっとした色付けのすべてに、逆効果となるリスク、下手なプレイヤーと思われるリスクがある。追いつめられることもあるだろう。悪くすると、演奏をつづけられず、沈黙してしまうこともある。曲のなかに何か新しいものを見いだす、つまり自分の中に何か新しいものを見いだすことには、高いところから飛び降りるような怖さがあるが、本物のミュージシャンはそのためだけにジャズをやる。」

「私は音楽だけを指してジャズと言っているのではない。ジャズがもたらす「感情」を指している。この感情が生まれるのは、単純でありふれたもののなかに可能性を見つけ、その可能性に臨機応変に対応し、確信を持ち、手を加えて、それを何かはっきりした形にできたときだ(才能あるジャズミュージシャンは、『メリーさんのひつじ』のような単純なメロディーから、複雑で素晴らしい曲をつくることができる)。新しいものができる可能性が明らかになって、意欲と情熱がわき上がる。そのときの「気持ち」をジャズと言っているのだ。」

うーん。ゾクゾクする。
保育って、子どもの単純でありふれた行動の一つ一つに可能性を見つけて、何か新しいものを作り出す営みだと思う。そこでの保育士の関わりって、「これうまくいくかな?」「下手って思われるかな?」というリスクだらけ。つい無難な一手を打ってしまいそうになる。でもそのリスクを引き受けて楽しめる保育士でありたい。そしてそんな大人に囲まれた空間でこそ、子どもたちも恐れずに挑戦できるようになるのだと思う。
肩の力を抜いて楽しむ。同時にたゆまぬ自己研鑽を。そんな保育士集団でありたいな~。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?