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子どもがADHDかも?

一昔前なら「そういう性格」で済んでいたものかもしれません。

医療の発達によって色々なものが解明されてきて、アドレナリンやドーパミンの分泌が少ない…などの状態になることが多いのが所謂発達障害であると言われたりしてます。

①メリット
世の中の理解が進んできたように感じなくもない

②デメリット
世の中の認知度が上がるにつれてあの人は発達障害だから…という枠にカテゴライズされる

個人的な考えですが…

性格で片付けられるものならそれでいい

と思ってます。これまた個人的ですが、アスペルガーだから、ADHDだからといって世の中が優しくなることは最終的にあり得ませんし、本人が「私はアスペルガーだから」と萎縮する方が悪影響です。治療方法が明確に確立されていて、若しくはこれけら確立されて、性格の部分までも変えられるなら別ですぁ。

ここで一つの例ですが、私の友人に明らかに結構重い発達障害の人が居ますが、一昨年に彼はマザーズに会社を上場させました。

歴史に名を残す偉人達の過半数は発達障害だと思っています。発達障害という単語が良くない。かなりエッジの効いた性格と言えばいいのかな?そういった人間じゃないと成し得ないことも100%この世の中にはあります。

では

発達障害として萎縮してゆく人と何事か為してゆく人との違いはどこにあるのか??

自己肯定感に尽きる!

と思います。恋の病は医者も治せないのと近いものがあります。

ポジティブな人間なら「変わった人」の方が経済的には成功しやすい世の中になってきました。

何を隠そう、うちの次男もその気が大いにありますが、父親的には、

・明るい
・ポジティブ

であれば大概何とかなると思ってます。保育園の先生でも枠にハメたがる人結構いまして、我が子が通う園でもそうです。

次男は「問題だ」と言われてます。僕は「何言ってんだ?」と思っています。

次男をよく観察してると彼なりのペースと思考パターンがあってそれが客観的に見ると

・話をきかない
・ボーっとしてる
・感情的

と写ります。アタマの中にサークルがあって、そのサークルで考え事をしてる時には周りの話に興味ないので聞きません。そう。興味がないだけ。聞く耳がないとは明確に違います。人の話に興味を持たせれば良いのです。

今日は登園時に長男と3人で「しりとり」しました。しりとりは人の話を聞かないと出来ません。これも練習です。

感情的になってわーってなってる時はその原因を彼らはずっと口にするのでその原因に対して大人は「言ってきかせがち」になります。

でも本人にしたらその原因よりも、原因によって引き起こされた「感情の揺らぎ」の方が大事。あるウイルスのせいで鼻水が出てる時に症状をほっておき、ウイルスについて延々と言及するようなものです。そう、見当違いです。

つまり、わーってなってる時にはうちよ場合、2つのことをします。

・二つの選択肢を提示→右でも左でも方向性、感情の行先を示す
・笑わせる

この二つ目の「笑わせる」は何気に1番大事です。要は感情の問題なので、気分が変わればready for listenになるから。

僕も最初は単純に「何で聞かないの??」と怒ってましたし、悩みました。でも、大きな声で怒ることに左程のメリットを感じなかった。親としては1番簡単だから取りやすい行動ですが。

なので、観察しました。

最後に、もう一度。最も大事なのは自己肯定感です。発達障害をネガティブな海で育てるのか、ポジティブな海で育てるのか?それが快適に生活できるか?の分かれ目です。

要は発達障害を改善するかどうか?方法論よりも、如何にしてより幸福度を高めるか?の方が大事だからです。

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