人に目的や価値はあるのか?
子育てしてて教えてもらったことの一つ。所謂的には人間に存在価値とか、存在意義とか、生きる目的とか、自分の役割とかは…
「ナイ❣️」
ということ。
人権とか、オンリーワンな価値とか元々は妄想で多分に今も妄想レベルな訳ですよ。
ただ、産まれまして、生きてくのに食べ物必要で結果、排泄して、子どもが出来て食わせてゆく
人の営みは1〜2行くらいなものです。たた、人間は他の生物よりアタマ良く、知恵の蓄積、共有ができるので人権的なものを生み出して、社会的生物が故にみんな自己承認欲求があり、上手に生活するために倫理を捻り出して上記だけが人生ってちょっとなぁ〜と思うので哲学的なものを考え出したり。
なので、語弊を恐れずに言えばアナタにも私にも本来なら生きる意味だとか、オンリーワン的な価値なんてものはありません。
なので、自分探しとか愚の骨頂でもあるわけです。そこだけ見たら。
ただ、人間としての価値を単体でみるのではなく、他者にとっての自分として見たら価値あるわけです。
うちの子どもたちからすればパパはいないと稼ぎも減るし、選択肢も大きく減るし、生活快適レベルも下がるし、遊び相手も減るのでパパ的価値が発生します。
うちの奥様から私を旦那さんとして見たら一般的水準よりは選択肢が多いくらいの環境を提供してくれるし、自分を愛してくれるので価値ありです(多分…という希望的観測です)
うちの会社の職員さんたちからすれば雇用主なのでそれなりに価値ありです。
僕を利用したい方にとっても利用価値ありで価値あり。
僕を好きな人にとっても好き→いて欲しい→価値アリ
僕を嫌い(アンチ的な意味で)な人→誹謗中傷する存在として適度に居てほしい→価値あり(但し、ガチで死んで欲しいという場合は除く)
ということかと思います。
つまり、私にとっては人の価値や意義なんて主観的マスタベ的には勝手に持ったらよくて、ただそのマスタベ的価値を強要してほしくない→強要する人って無邪気に「僕の価値は〜」と思ってる人。しかしながら、社会的俯瞰をした場合にオノレの価値なんぞ人様からいただいてナンボ…というとこに帰結する。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
これは途中でその事に気がついちゃった方々かと思います。
そこを浅ーく「ご縁に感謝」だけ言ってる方々は「サワリ」は良いけど、「で?」ってことになりがち。
アナタ、それ超口だけだよね汗
的な。
ご縁に感謝するには「あったご縁」→「育てる具体的事例と労力」+「時間」が必要で、振り返った時に出るのが実感。会った時に言ってる人は人蕩かしたいか、一周回って実感ありすぎて軽重ひっくるめて万物に感謝の領域に居るブッタなりかけレベルの人かと。
要は私個人の人間としての価値や意義など本来はクッソレベルですが、うちの子や家族、仕事のパートナー達によって何とか価値としての体裁を保っていて、価値ないレベルだからどこかの他人がやるだろう的な社会貢献も出来る範囲で自分でやってそんなに無価値でもないかもしれない自分を創り出す感じです。最近の社会貢献はコレ
後は可愛らしくて未来のカタマリである世の子どもたちのために。
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