ブラタモリ日記その14 「種子島 #236」 (2023.6.3)
種子島といえばロケットと鉄砲伝来だ。とりわけ鉄砲伝来の話は、ボクにとってはまさに絶妙のタイミングだ。なぜなら今、世界植民地の歴史を調べてる最ちゅうだからだ。
西欧諸国が植民地開拓のために新たな地に降り立つと、たいていの原住民はビビって何もできないという。鉄砲をもった白い肌の人間を見ると、神か悪魔か霊か魔術師か、とにかく恐ろしくなって彼らの言いなりになってしまうのだ。そしてなす術なく彼らの植民地となっていくのだ。
ところが日本はそうはならなかった。日本人は鉄砲をもった外国人が現れると、すぐにその鉄砲と同じものを自ら作りだし、そしてすぐに戦さで使いだしたのだ。そういう点で、今回のブラタモリは、その鉄砲伝来について言及していたので、とても興味ぶかく観た。
どうやら鉄砲伝来から実用までに、さまざまな偶然がかさなったようなのだ。これがおもしろい。中国で交易をしていたポルトガル船が遭難し、たまたま偶然、黒潮の流れにのって種子島についたのだ。その種子島では、たまたま偶然、戦争中だった。(種子島での唯一の戦争、ねじめ戦争)そしてたまたま偶然、種子島は砂鉄が多く採れる島だったので、島主はすぐに同じものを刀鍛冶につくらせたのだ。
ときは戦さの絶えない戦国時代。偶然に偶然がかさなり、鉄砲はあっという間に日本全国に広まり、日本人はあっという間に鉄砲を使いこなしてしまうのだった。それを見た西欧人はさぞかし驚いたにちがいない。そして日本を植民地化するのは容易ではないと認識したはずだ。
そう考えると今回のブラタモリは、うんッ、とてもおもしろかったッ!
種子島は地球のチカラを感じる島
JAXA種子島宇宙センター → 敷地は東京ドーム200ヶ超
報道用展望台から3km以上先に発射地点 → 赤と白の鉄塔が2つ(第一射点と第二射点)
赤道に近いほうが遠心力が使える
自転を利用して東のほうにロケットを打ち上げるため、東が海で開けている
3月に田植え、収穫は7月下旬 → 一回収穫したらもう一回できる(年2回収穫)
大門の峯(おおかどのみね)→ 100万年以上かけてつくられた地層
堆積岩(たいせきがん)→ 地層がシマ模様になっているのが特長
海の底に積もった地層が隆起
種子島はいちばん高い所でも282m(わずか20kmとなりの屋久島は1936m)
屋久島は地下のマグマが冷えて隆起、種子島は堆積岩がプレートの動きで隆起して平たい島になった
サンゴ礁 → サンゴがつくった地形、浅くなるので白波が立つ
温かい黒潮が流れてサンゴ礁が形成される
広田遺跡 → 古墳時代につくられた共同墓地の遺跡 → 種子島には古墳はない → 権力者がいなく、家族、友人、仲間たちを等しく大切に葬った → 共同体を大事にする文化は南の島、奄美や琉球の特徴
日本書紀「稲、常に豊かなり。ひとたび植えて、ふたたび収む」
米が年に2度収穫できる豊かな土地
1543年、鉄砲伝来。
前之浜(門倉岬の近く) → 鉄砲を伝えたポルトガル人が上陸した浜
中国の南の近海で交易をしていた船 → 嵐にあって黒潮にひかれて漂着 → ポルトガル人が鉄砲をもって乗っていた
村松文書 → ポルトガル人との交渉を記録した古文書
種子島で国産の火縄銃がつくられ、全国に広まった
鉄浜海岸(かねはまかいがん)→ 多くの砂鉄が採れる → 鉄砲の材料
砂鉄 → 火山由来の岩石が崩れてできたもの
種子島ができる前、遠く離れた場所で火山活動 → 砂鉄が生まれる → 黒潮の流れによって運ばれる → 砂鉄の層を形成 → 砂鉄が堆積した海底が隆起して種子島に
偶然、種子島に鉄砲が伝わり、偶然、そこに砂鉄があった
種子島時尭(たねがしまときたか)→ 鎌倉時代から種子島と屋久島を治めてきた種子島氏の14代目
大隅半島のねじめ氏が侵略しに攻めてくる(種子島で唯一の戦争、ねじめ戦争)→ 鉄砲伝来と同じ1543年、屋久島がうばわれる
戦争が勃発した半年後に火縄銃をのせた船が種子島に → 種子島時尭は火縄銃を2丁買う(現在の金額にして1億円)→ 島の刀鍛冶たちに火縄銃をつくらせる → 翌年の1544年、屋久島奪還作戦をおこない見事に成功
ネジがどうしてもつくれなかった。雄ネジはつくれても雌ネジがつくれない → あとでポルトガル人の技術者に教えてもらってつくれるようになる → 全国へ伝来、ネジ発祥の地
モノづくりの国ニッポンの原点のひとつが種子島にある