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ブラタモリ日記その44 「京都・大原 #207」 セレクション (2022.6.25)
今回のセレクションは京都の大原。こりゃいいとこじゃないか〜。人もあまりいなさそうだし静かそうだし(番組みたかぎりでは…)。いや、京都には行ってみたいと思うのだが、なにしろ激混みのイメージがあって躊躇してしまう。人ゴミぎらいなもんだから、地味でもいいから人が少ないところを好んでしまうのだ。
そしてここは建礼門院と縁が深い地だという。ううう…、歴史好きと言っときながら、平安時代はちんぷんかんぷんなんだな。平家物語がどんな物語か知らんし…。戦国時代より前は何ひとつ知らんのだ。いかんいかん。
今までも平安時代や鎌倉時代を知りたいと思ったことはあった。しかしどうしても後まわしになってしまい、ズルズルと今日までいたる。番組を観てると、建礼門院は天皇のきさきとして栄華の頂点に立つが、壇ノ浦の戦いで8歳の息子を失い、そしてこの大原に身を寄せたという。
平家の栄枯盛衰の運命に翻ろうされた生涯だったようだ。晩年をすごした寂光院というお寺では、5畳半ほどのせまい部屋で静かに暮らしていたそう。そのときに詠んだ歌がこちら。
思ひきや 深山の奥に 住まひして 雲井の月を よそに見んとは
むかし宮中で楽しく眺めた月を、今こうして山奥で寂しく眺めることになろうとは思いもよらなかった、というような意味だ。なんともさみしい歌よ。
そして番組では触れてなかったが、どうやらこの歌に対して後白河法皇が次のように返したという。
池水に 汀の桜散り敷きて 波の花こそ 盛なりけれ
池の水面には、散った桜の花びらが一面に浮かんでいる。木の桜は散ってしまったが、水面の上の花は今こそが満開だ、というような意味らしい。
ま、和歌はよくわからないのだが、かつては華やかな暮らしをしていた建礼門院が、今の質素な暮らしを嘆いたのに対して、後白河法皇がそんな建礼門院を元気づけてあげたのかな、と勝手に解釈した。ちがうかもしれんけど……。
ともあれ、この大原に行きたいとは思うのだが、その前にやらなければいけないことがある。平安時代を勉強することだ。それをしてから行くのと、まるっきり何も知らずに行くのとでは雲泥の差だ。そうだなぁ、まずは大河ドラマ「平清盛」でも観てみるかな、うん。
「なぜ大原は “ 癒やしの里 ” になった?」
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京都駅から約18km、南北に細長い小さな盆地
年間40万人の観光客
約2000人が暮らす小さな山里
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三千院 → 大原は湿気が多い場所、石垣にたくさんのコケ
有清園 → 比叡山の雪が山の水となって大原へ流れる
わらべ地蔵 → 多くの人の心を癒やす
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往生極楽院 → 阿弥陀三尊様が祀られている
阿弥陀三尊坐像(あみださんぞんざぞう・国宝)→ 両隣の菩薩様が前かがみで正座 → 大和座り
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大和座り → 今にも立ち上がりそうな様子が、死者を極楽浄土に迎え入れる瞬間といわれる → 慈悲のあらわれ
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声明(しょうみょう)→ 音階と旋律が書かれている → 独特の節回しで唱えるお経
三千院は声明の一大修練場
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大原は高野川の侵食でできた盆地
旧若狭街道(旧サバ街道)→ 断層が通っていた
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建礼門院(けんれいもんいん)
平徳子(建礼門院)→ 天皇のきさき、栄華の頂点
壇ノ浦の戦いで8歳の息子、安徳天皇を失う → 大原に身をよせる
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柴漬けという名称は建礼門院が名づけた
ナスと塩と大原の赤じそ
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大原の赤じそにはペリルアルデヒドというリラックス効果のある成分が含まれている
大原は、シソの栽培に適した水はけと露(つゆ)の条件がそろうほか、交雑しにくい盆地の地形によって原種が守られている
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薪に火をつけるための柴がよくとれる → 都へ売りに行って貴重な現金収入にしていた
大原女(おはらめ)→ 建礼門院ゆかりの文化
建礼門院にお仕えした女性が山仕事にはげむ際の格好を大原の女性が真似をした
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寂光院(じゃっこういん)→ 建礼門院が身を寄せたお寺 → 5畳半くらいの狭い場所に住んでいた
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寂光院を訪ねる後白河法皇(右)
花を摘みに出かけている建礼門院(左)
思ひきや 深山の奥に 住まひして 雲井の月を よそに見んとは
(むかし宮中で楽しく眺めた月を、今こうして山奥で寂しく眺めることになろうとは思いもよらなかった)
栄枯盛衰、建礼門院の心を前向きにしたのが癒しの里・大原
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本堂は22年前に火災 → ご本尊はかろうじて残る
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旧ご本尊の胎内から3416体もの小さな仏像が出てきた
救いを求める人たちが祈りをささげ奉納したもの
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