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ブラタモリ日記その32 「網走 #167」 セレクション(2020.10.31)

今回のブラタモリセレクション網走は、網走刑務所についてのお話が主だ。網走刑務所というと、寒風吹きすさぶ雪嵐のなか、まわりは深い森林に囲まれていて、一棟だけポツンと取り残されたかのようにある建物。まさに最果ての地に閉ざされているイメージだ。そして申し訳ないが、個人的にはあまり行きたいとは思わない。

ところが、タモリさんが網走を訪ねた日は好天に恵まれたせいか、めっちゃ明るいがな。それになに、博物館なんかあるようだ。番組はその博物館から始まる。どうやら観光にもなってるようなんだな。知らんかったわ。

その博物館「網走監獄」は、実際あった網走監獄を移築したものらしい。そのため昔の監獄をそのまんま再現されているのだ。これがまためっちゃ明るくてきれい。なんだかちょっとした民宿を思いおこさせるものがある。いやはや、監獄にこんなこと言うのもなんだが、めっちゃいいとこじゃないかッ。

その網走監獄。当時の監獄の脱走率は3〜6%だったらしいが、網走監獄はなんとたったの0.9%だったそう。番組では、それは逃げづらい立地にあるとかなんとか言っていたが、ボク個人的には単純に居心地がよかっただけなんじゃないか?って思ったりするのだ。

現代でも、ド底辺の生活を強いられてる老人や元囚人が、わざと犯罪を犯して自ら刑務所に入ろうとすることが社会問題となっている。ド底辺界隈では、刑務所はそれくらい魅力的だったりするようだ。

当時の囚人たちも、下手に脱走なんかしてシャバでド底辺の生活をするくらいなら、ここにいたほうがいいと考えても不思議ではない。いや、わからないけどそれくらい立派な建物なのだ。

本回を観るまでは、網走なんて寒そうだしとても行きたいとは思わなかったが、晴れたポカポカの日であれば、この網走監獄には一度行ってみたい。

ポカポカの日にね……

寒いと神経痛がつらいから……



博物館 網走監獄

「“ 最果ての地 ” の網走は “ 理想の地 ”!?」

網走監獄 → 舎房(重要文化財)。明治45(1912)年に完成。昭和59(1984)年まで網走監獄で使用されたあと、博物館に移築。

放射状の建物
中央の監視所
廊下の天井にガラス
牢屋にも窓

建物を放射状にすることで、大勢の囚人を少人数で監視

天井にガラスを取りつけることで、舎房の中を明るくする工夫 → 人権を意識、ヨーロッパの近代的な思想

牢屋の中にも光が入るように窓がある

格子が「くの字」

格子が「くの字」→ 外の視界を閉ざして囚人に反省をうながしたり、廊下の暖房の熱が通るようにするため

監獄の管理体制、囚人の生活環境 → 理想の監獄


昭和の脱獄王 白鳥由栄

網走監獄 → 大正11(1922)年、網走刑務所に改称

昭和の脱獄王 白鳥由栄(しらとりよしえ)→ 青森、秋田の刑務所で2度脱獄。昭和18(1943)年、網走刑務所に送られる

みそ汁を視察孔のネジに吹きかけ続けて腐敗させて外し、肩を脱臼させて脱獄

険しい山と網走川に囲まれた立地が脱獄を難しくする

網走監獄を山、川、湿地に囲まれた場所に建てることで、囚人を逃さない理想的な監獄

網走〜北見峠の道路 163kmを8ヶ月で完成

大量の労働力 → 囚人1200人を導入(過酷な労働で200人以上が犠牲に)


ぼうし岩

網走川河口 → 砂丘があることで船を安全に泊めておける理想的な港

半島と砂丘によって風からの二重の守り

ぼうし岩 → アイヌの人たちにとって神聖な場所

チパシリ(祈りをささげる祭壇のある島)→ 網走の語源

1000万年前、海底火山 → 硬い岩が海面から顔をだす

ケーソンドック

ケーソンドック(大正12年完成)→ 日本でいちばん古いケーソンドック

整備港にも理想的な地

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