ブラタモリ日記その26 「山形・酒田 #113」セレクション (2018.9.29)
いつもながらタモリさんの博識には驚かされる。酒田の地形が描かれた観光用の看板を見ただけで、断層がどうのこうのと語りだした。タモリさんが言うには、酒田はなかなか興味深い地形だという。
飛島では専門家さんの問いに、岩石を見ながらあーでもないこーでもないとタモリさんは語る。結局は流紋岩であることを当てられなかったが、タモリさん自身、流紋岩を生で見たのは初めてらしく、食い入るように見ていた。
「笑っていいとも」が終了したのが2014年3月。タモリさん68歳。それまでのタモリさんは月曜〜金曜まで「笑っていいとも」の生放送、土曜は「タモリ倶楽部」の収録、日曜もなんだかんだと仕事が入ったりで、まともな休日は正月くらい。約30年間、泊まりの旅行などまったく出来なかったのは有名だ。
タモリさんはインターネットも使わないという。それでこれだけの地学的知識はどこから得たのだろうか。外に出れない30年間、ひたすら本やテレビから得たのか。それとも「笑っていいとも」が終了してからあちこち見たり聞いたりしたのか。
ともあれ、68歳まで制約のある生活を強いられても、本人の考えややりようによって、専門家さんも驚くほどの見識が得られるということだ。ボクもタモリさんを見習って、これまで興味はあったけどなかなか追求できなかったものをもっと追求して、より深い見識を得られるようにしたいと思った。
ところで北前船は新潟港にも寄ったようだけど、山居倉庫のような倉庫、今でも新潟にあるのかな?(地元なのになんも知らん💦)今回もたいへん勉強になりました。ありがとうございました。
「山形・酒田はなぜ日本の中心!?」
北前船(きたまえぶね)→ 江戸時代に日本海側の物資を大坂に運んだ船 → 新潟、福井、広島といった主要な港に立ち寄り、米、塩、衣類などを中心に売買した → 海の総合商社
西廻り航路 → 江戸時代の物流の大動脈 → 酒田〜江戸〜酒田と一往復するだけで1億円かせぐ
最上川 → 全長229km、全国7位の大河川
山居倉庫(さんきょそうこ)→ 全長160mの巨大倉庫
米(最上川舟運の主力商品)→ 900トンの米、1万5000俵を保管 → 江戸時代は65万5000俵
内陸の要所要所に天領 → 約20万石(大大名クラス)
天領 → 江戸時代が直接おさめた土地のこと、そこでとれた米は幕府の収入となる
河村瑞賢(かわむらずいけん 1618〜1699年)→ 1672年に幕府の命令で西廻り航路を開設
陸路だと宿代など経費がかさむが、航路だと当時の船は風で進むので経費がかからない
豪商本間家 → 北前船の交易、不動産業、金融業の3本柱が収入元 → 江戸末期から明治、大正にかけて日本一の大地主といわれた
日本豪商番付では岩崎弥太郎、五代友厚をおさえて大関
本間家旧本邸 → 600㎡、使用人30人、23部屋
柱に飛騨高山の春慶塗(しゅんけいぬり)、水戸藩主・徳川斉昭直筆の掛け軸、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったつぼ
商いで得た利益を4つに分配
・神社仏閣の寄進
・公益事業への寄付
・藩への支援
・本間家の家計
新潟の赤石、岡山の万成石(まんなりいし)、愛媛の青石、北海道の神居古潭石(かむいこたんせき)
米を売ったあとに石を積んで船を安定させる
酒田港には風速10m以上の風が年間100日以上
飛島(とびしま)→ 沖合39kmにある離れ小島
舘岩(たていわ)が風よけになる
風の強い日はいったん飛島に寄って、風がおさまってから酒田港へ行く
海底火山の活動でできた島
流紋岩(りゅうもんがん)→ 粘り気の強い溶岩、噴火して流れ出るときに、低く広がらずに高く盛り上がった
ぐうぜん都合のいい溶岩ができて、港が形成される
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