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瀬戸内海のかけら

これは フェンリル デザインとテクノロジー Advent Calendar 2022 11日目の記事です。

今年の11月、友達と瀬戸内海芸術祭に行きました。

東京から高松までの航行1時間の飛行機旅は、公園の滑り台みたいに、サーッと登って、スーッと降りた感覚でした。

飛行機に乗る直前までは、私は会社の仕事をしていました。そのたった1時間後には、目の前に瀬戸内の静かな世界が広がっていて、まるで別世界に来たかのようでした。

実は、瀬戸内海芸術祭に来たのは2回目でした。初めて訪れたのは、3年前。日本に来て、まだ間もないときのことでした。

3年前、初めて訪れた瀬戸内海

2019年6月、日本に来て4ヶ月目を迎えました。その頃は、まだコロナが流行っていない平穏な世界で、日本のすべてに対して好奇心と不安が混在している毎日でした。

ある日、友達と瀬戸内海芸術祭に行くことにしました。

私は、その一つである瀬戸内海の豊島の「心臓音のアーカイブ」というプロジェクトを体験しました。そこに自分の心臓音と「そばにいるよ。ずっといるよ。」というメッセージを残しました。

それは、私が死んだ後に、私に会いにきた人を想像しながら書いたものです。

心臓音を採録する登録料の1,570円を払った記念として、おしゃれなジャケットデザインのCDをもらいました。その中には私の心臓音がレコーディングされていました。

それ以来、自ら開けて聴くこともなく、誰かに渡すこともしていません。私の心臓音がレコーディングされた瞬間、一番ドラマチックな結果がもう決まったからです。それは、生と死を隔てる涙の再会です。

もしもその結果が訪れないなら、そのCDは多分、塵埃と時間の隙間の中で、可燃ゴミになり、燃やされ、煙になり、空に飛び、宇宙の最も原始的な粒子に戻ります。

何百万何億万年後、また生命の原子に組み合わせ、魚になって、もう一人の私になります。

これは、芸術の意味かもしれません。

何かしらの記憶を人に与えて、その人と何らかの物質を繋げます。時には、すぐに忘れたり、私たちの人生に影響し続けたりします。

3年、また3年と続けていきます。

3年前と今年の瀬戸内海での思い出

初めて訪れたときから3年後、私はまた瀬戸内海にいました。

今回の旅でもらったお土産は、「癒しと光のかけら」です。東京に戻っても、ふとした瞬間にそのかけらが頭の海に浮かびあがって輝きます。

1ヶ月前または3年前のかけらを記録しようと思います。これらのかけらは、私の瀬戸内海への非客観的な認識を組み合わせています。

かけら1 :自転車とオリーブご飯

旅先で自転車に乗るのが好きです。

知らない道で迷子になったり、変な名前の看板の下で記念写真を取ったり、わざと主要な道路を避けて狭い小道を通ったりします。風の音が世界のBGMになります。自転車のチェーンが転がる音が「スー」と知らない町の入り口を開けてきます。

自転車に乗るというより、軽い冒険と体力がいる瞑想と言えるでしょう。

3年前、初めて瀬戸内海に来たとき、友達と自転車を借りて、島の中で軽い冒険をしました。

海沿いの真っ直ぐな道かと思いましたが、結局勾配がきつい山道が多かったです。島の向こう側を目指して、友達とがむしゃらに自転車を漕いでいました。

登るときは、はあはあと息を切らしながら必死に漕ぎました。降りるときもリラックスはしません。油断したら崖に飛び出すかもと心配をしながら、集中してブレーキをコントロールしました。

良かったことは、目的地は見えないものの、山道でも海が見えたことです。何百年も漕いでいるかと思いましたが、時間を見ると、まだ朝の9時でした。

「(道がなんでこんなに長いんだ)」
「(あ、海が綺麗)」
「(なんで目的地の気配を全然感じなかったのよ)」
「(あ、海が綺麗)」
「(喉乾いている)」
「(あ、海が綺麗)」
「(ここに住んでる人、日常生活どうやって送ってるの? コンビニもない)」
「(あ...)」

私は疲れすぎて、脳内でツッコミの余裕もないとき、やっと食べ物を買える場所を見つけました。

そこは、オレンジのカーテンが店のドアを隙間なく被せていて、その上には「平井商店」と書かれた看板がかけられていました。自転車を止めて、友達と急いで入りました。

店主さんはカウンターの後ろでテレビを見ていました。このとき、私たち以外のお客さんは店内にいませんでした。私たちは、ちょっとスカスカな黄色のような色をした棚に向かって、食べ物を探しました。窓から入る光の中で、ほこりは空気中をゆっくり動いています。

商品の選択肢があまりなかったので、インスタントラーメンとクッキーを購入。山道を2時間漕いで初めて見つけたお店だったので、ちゃんとしたご飯を望めないと思っていた私にとって、とてもご馳走でした。

購入した食べ物は、お店を出て、どこかの空き地で座って食べようかなと考えていました。会計時、店主さんにお湯をもらえるかどうかを聞きました。すると、店主さんは裏の部屋にいた奥さんを呼びました。

奥さんは私たちをソファのところに案内して、インスタントラーメンを持って奥の部屋に行きました。ソファに座れることにとても感激しました。しばらく待ったら、奥さんはトレーを持って出てきました。トレーの上には、インスタントラーメン以外にお茶と熱々のご飯がありました。

「今、ちょうどご飯を作ってるところで、これは出来立てのオリーブご飯です。どうぞ召し上がってください。」
「ああああああああ、ありがとうございます! 」

お湯を借りるだけのつもりだったのに、こんな贅沢な昼ごはんをいただけるなんてサプライズでした。嬉しすぎて、「ありがとう」しか言えなかったです。

オリーブご飯も初体験でした。オリーブを軽くかじると、油が歯の間をゆっくり染みていきました。どんな味だったのか、はっきりとは覚えていません。ただ記憶のフィルターかもしれませんが、あれは薄い甘味がしていた気がします。

その日の朝の疲れは、この甘い優しさに撫でられました。冬の乾燥した手の甲の肌が、オリーブオイルに染み込まれたような感じがしました。

かけら2:猫

私は猫派か犬派かと聞かれたら、思わず犬派と答えますが、猫は神秘的で、癒す力を持ってると思います。

瀬戸内海にも猫が多い島はいくつかあります。その一つが男木島です。男木島を訪れた際、フェリーのドアが開いたときに、猫がいました。まさか猫がお出迎えをするとは思わなかったです。

てっきり、餌をあげるフェリーのスタッフが同じフェリーに乗ってると思いましたが、最後まで、そのような人は出てこなかったです。猫はずっと船のところに座っていて、誰が撫でても抵抗しませんでした。

この猫のおかげで、男木島での冒険はいい始まりになりました。

男木島は面積 1.34 k㎡ の小さな島です。この 200m の小さな山に沿って109世帯が家を建てました。

小豆島のように、住民の皆さんと出会わないかもと思っていましたが、島に入ってすぐに通り過ぎる人が「おはようございます」と挨拶してくれました。少し坂に登って、おしゃれなパン屋さんに並ぶとき、“空”から誰かの声がしました。

そこには畑仕事をしているおばあさんがいました。おばあさんは満面の笑みで私の後ろの女の子に話しかけて、その先にある作品への行き方について親切に教えてくれました。私もその笑顔を見て、マスクの下で微笑みました。

途中で発見したお店でパンを買ったあと、おばあさんが教えてくれた道に進みました。男木島で迷子になるのがここに来る人の定番らしくて、私も作品巡りの途中で迷子になりました。

登って降りて、また登ってを繰り返し、到着したのは島で一番標高が高い場所。そこは私が一番見たい作品が置いているところです。

Googleマップを見ながら、次はどこへ行くべきか戸惑っていたとき、「にゃんにゃん」と猫の声が聞こえました。

ずっと「にゃんにゃん」と鳴いていて、お腹が空いているかなと近寄ってみると、お皿には餌が溢れていました。「撫でて欲しいのかな」と思い、手を出したら、猫がすぐ後ろに退きました。とはいえ、見た目的には人懐っこい猫でもありません。

真っ黒で、ハイエナのような柄が薄く見えています。尖っている歯もヴァンパイアのように出ています。よく見ると、爪も鋭くてピカピカと光っています。

私には懐かなかったが、後に出会った女の子の話によると、彼女には懐いたらしい😭。写真はその彼女が撮影したもの。

ですが、「にゃんにゃん」とだけずっと鳴いています。不思議な猫だなと思って、そこを離れて次の道を探し始めました。

その猫が見えないところに行ったら、うしろで急に「にゃんにゃん」という音が聞こえてきました。

この島の猫はよく鳴くなと思い、振り向いてみたら、先ほどの猫が追いついてきました。

相変わらず「にゃんにゃん」と鳴いていました。以前猫が子猫を助けて欲しくて人に助けを求める動画を見たこともあり、猫が鳴いているのでついて行ってみました。「何かあったの」と思わず日本語で猫に聞きました。「にゃんー」と答えました。

一緒にどこかに行って欲しいかと近寄っても、全然離れません。
私:「なにか教えたいことがある? 」
猫:「にゃん」
私:「一緒に次に行きたい?」
猫:「(じー)」
私:「元々人間?」
猫:「(じー)」
私:「違うか、元々も猫?」
猫:「にゃん」

途中から変な話になりましたが、やっぱり意味が分からなくて私は離れました。でも、やはり気になったので、足を止めて、地図を確認しました。道を間違えたかもと思い、折り返しました。

猫と初めて出会った家に通りかかったとき、猫も戻りました。あ、多分猫は「道を間違っているよ」と言いたかったことが分かりました。もう一度近づいて、また猫と話しました。

私:「道を教えたかったんだね」
猫:「にゃん」
私:「ありがとう」
猫:「にゃん」
私:「バイバイ」
猫:「にゃん」

振り向いてバイバイをすると、猫のいるところはちょうど私が猫目のおじいさんに道を聞くところが見えるんだと気づきました。すごい猫だと思いながら次の作品に向かっていきました。

今回、猫は「にゃんにゃん」と鳴きながら追いついて来ませんでした。

かけら3:芸術は死なない

直島を訪れたのは2回目です。なぜ、もう一度訪れたのかというと、前回は全部の作品を見れなかったので、今回でまだ見ていない残りの作品を見ようと思ったからです。

天気も前回の旅の続きみたいに、雨が降っていました。

その影響で、港にある草間弥生さんの作品『赤かぼちゃ』が置いてあるところにも人が少なかったです。

草間弥生さんの作品はいつも非日常感があり、何度見てもインパクトが強くて異世界に引き込まれそうな感じがします。

船を降りた多くの人が最初にすることは、その赤いかぼちゃのところに行き、写真を撮ることです。私も初めて行ったとき、写真を撮りました。

長い列ができていても、直接目にしたいですし、写真を撮りたいと思うような作品ですが、今年2回目に訪れたときは、写真を撮りませんでした。一緒に行った友達は初めてだったので、「写真を撮ろうか? 」と聞くと、見るだけでいいよと断られました。

雨の中、ほかの人は嬉々として作品を撮っていましたが、私たち3人はその様子を側で眺めていました。

これは非日常のかぼちゃの日常です。

実は島には『赤かぼちゃ』以外にも、黄色いかぼちゃの『南瓜』があります。

赤かぼちゃはフェリーの港で島に来た人を迎えています。島の向こう側の海辺にある黄色いかぼちゃは、何のためにあるのか、何を表現しているのか私には分かりません。ただ海を見つめています。

2021年、この黄色いかぼちゃは台風の影響で飛ばされ、何度も桟橋に打ち付けられ、壊れてしまいました。現実の荒海に芸術は壊されて、奥深さやセンスがすべてなくなり、狼狈しか残りませんでした。

でも、芸術は生き残りました。次の年、黄色いかぼちゃがまた復活したのです。現在、豪雨の中でも、何も動じずに、海を見つめています。

瀬戸内国際芸術祭で、災害に遭うことは初めてではありませんでした。2010年、瀬戸内国際芸術祭が開催した初めてのとき、男木島で火災が発生して、いくつかの作品が焼失しました。

それで、男木島の全作品の公開を中止と一時されましたが、住民から作品公開再開の要望があったことも踏まえ、残りの全作品の公開を再開することになりました。

ほら、芸術は死なないです。

かけら4:帰り道

私は中国の四川出身です。四川の地形は盆地なので、私が初めて海を見たのは18歳の高校卒業旅行のときです。

海は私が18歳で出会ったものですが、瀬戸内海に来て、なぜか幼少期に住んでいた田舎の町を思い出しました。

建物はすべて低く、道はそんなに広くないですが、狭くはありません。大人たちは畑で作業をして、子どもたちはそばの道で遊んでいます。

ゆったりとした時間の中で、たまにバイクやバスなどの車が通ります。自然の風が徐々に吹いてきて、草と土が匂います。いま思い出してもシンプルで明るい記憶です。

この日訪れたのは女木島です。20年ぶりに故郷へ帰ったような感覚で、心も夕日みたいに安らいでゆったりとしていました。

カートを押したおばあさんを見かけると、思わず一緒に押して前に進みました。

私:「仕事終わったんですか? 」
おばあさん:「今から行きますよ。」
私:「あ、太陽が沈んで、そんなに暑くないですね。」
おばあさん:「&*()%¥#」

方言でおばあさんが何か返事をしました。

私にはその言葉がよく分からなかったんですが、分かった振りをして相槌をしていました。それを見抜いたおばあちゃんは、ゆっくりとして標準語で「あなた、親切だね」と言いました。

私はそれを聞いて、思わず笑ってしまいました。

そして、一緒にゆっくりゆっくり、島の中で一緒に前に進みました。

「次、曲がります」とおばあさんが言ったのち、私たちとおばあさんは別れました。おばあさんはゆっくり畑に向かって歩いていきます。

私は急いで、最後のフェリーが港に到着する前に作品をできるだけ回っていきました。

それで、私とおばあちゃんは同じ空間にいましたが、違う時間の道に進んで行きました。

瀬戸内海での旅を終えて

瀬戸内海は巨大な泡のように、点々とした島たちを海の奥に包んでいました。その一つ一つの島たちは、それぞれの小さな泡に時間を封じられています。

3年に1度の芸術祭は、泡の入り口を短く破り開きました。私たちはその入口から、島に入り、島の住民と同じ空間を過ごしました。芸術祭が終わった後、島は日常に戻ります。

人気ある美術館と作品にはもう誰もいません。島と一緒に無言で海に帰りました。


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