発達障害と個性と特性と

ここ1ヶ月ほどで、母親・直属の上司・プロジェクトリーダーにADHDで通院していることをカミングアウトした。
※直属の上司に対しては「発達障害」「ADHD」という言葉は使わず、服薬と自分の特性について話した

画像1

これは上司に見せたメモの一部である。ここには一般的にADHDが苦手とすることが書いてあり、医師が事前に印刷して渡してくれたので、それにコメントをつけていった。下の方に手書きで書いてあるのは医師の字で、『この人字汚いな…』と思いながらカッコ書きで読める字で書いた。この他には、自分が得意だと感じていること・苦手なことを加筆して上司に見せながら面談をした。

この画像内に書かれた内容は、残念ながら「入社して2年しか経ってないんだから誰だってあるよ」という風に受け取られた(と会話の中で感じた)。

ADHDや発達障害という言葉を使おうが使うまいが、自分の特性の話をすると、必ずと言っていいほど
「誰だって当てはまる」
「私だってそういうことあるよ」
「努力すればできるようになるんじゃない?」
という言葉を返される。
分かります。誰だって多少なりとも当てはまるし、失敗だってする。人間だもの。
でもね、失敗の頻度が違う、程度が違う。努力なんていくらでもしてきた、もう24年も生きてるんだから。それでもダメだった。だから、毎月毎月お金を払って病院に通って、クソみたいな副作用の出る高い薬価の薬を飲みながら生活してる。ギリギリで。
過去の失敗に苛まれながら不安や焦りに駆り立てられて抗不安薬を飲めば、脚がもつれて転倒することもあるし、翌朝に起き上がれないほどの眠気に襲われて意識を失うこともある(なぜか、かろうじて職場にはAM休暇の連絡を入れている)。

発達障害だろうが、発達障碍だろうが、発達障がいだろうが、特性だろうが、個性だろうが、呼ばれ方は何だっていい。けれど、私がそれに困っている(生活に支障をきたしている)という事実がここにあるとただ知っていてほしい。

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