まっすぐの見本
小学生の頃、二つ上の兄の同級生にyちゃんという子がいた。
私はその子がまったく好きではなかった。
彼女は、曲がっていた。
yちゃんは下級生いじめが大好きだった。私も何度かその被害にあった。
私が友達(仮にAちゃん)と二人で遊んでいるとき、yちゃんは足早に現れ、Aちゃんだけに用事がある、と連れて行ってしまうのだ。
もちろん、何か用事があるわけない事は目に見えて分かった。
自分がAちゃんと遊び、遠巻きに一人になってしまった私を笑いたいのだ。
それが上級生のやることかと悔しく腹が立ったが、いくつだろうと曲がった性格は矯正のしようがないのだろうと妙に納得した。
そんな事を、彼女はあちこちでしていた。大人しい低学年女子のランドセルにわざわざカエルを入れたという話も聞いたことがある。
今思えば、yちゃんが下級生にばかり意地悪をするのは、同級生の中で自分が相手にされなかったからであろう。弱い者に当たるのは一番簡単だ。
そんなyちゃんは、抜けて身長が高かった。
手足は異様に細長く、顔色は青白く痩せこけていて、私は内心不気味に思っていた。
いつかの恨みもあって、ふとしたとき、私は兄に向かってyちゃんの悪口を言った。
嘘つきで傲慢で弱いものいじめが得意なyちゃんに、兄も手を焼いているのは知っていたので、さぞかし共感し笑ってくれると思った。担任も含め、あのクラスでyちゃんを好きな人なんて、まず居なかった。誰もが彼女を疎ましく思っていた。そんな大前提に背中を押されてー私は、ちょっと得意げに、言ったのだ。
「yちゃんってなんであんなに短いツンツルテンのジャージを履いているんだろうね。全然サイズ合ってないし、変なの。みんな、ダサいと思ってるよね。」
その瞬間の、兄の顔は今も覚えている。
「だったらお前は、yちゃんに対して、何をしてあげられるの?」
嫌悪と憎悪の入り交じった目だった。
予想外の反応に小学生の私は言葉を失った。
なぜ私が怒られなければならないのだ。
yちゃんなんて庇うほどの人間ではないか。
悲しくなり、兄を憎くもどかしく思った。
私が兄の言葉の真意を理解したのはそれからだいぶ経ってからだ。
身長がぐんぐんと伸びるyちゃんは、一方で、新しいサイズのジャージを用意してもらえるような家庭環境ではなかったらしい。
兄は私よりもyちゃんの事を色々と知っていたから、その屈折した性格を育んだ背景などにも理解を示していたのかもしれない。
自分が本気で彼女と関わり、彼女の抱える悩みや問題を解決する一助となる気持がない以上、目に見える特徴だけをあげつらうのは酷くさもしい事である、と、兄は言いたかったのだろう。
当時、兄は14歳、私は12歳だった。
冒頭で私はyちゃんの事を「曲がっていた」と述べたが、結局そのyちゃんの事を、たかだかジャージのサイズの事で笑い馬鹿にした時点で、私も十分に曲がっているたのである。「個人的な恨みがあるからと、本人の努力ではどうしようもない部分まで相手を馬鹿にする」という行為は、恥ずかしい事だ。この真っ当な感覚を大人になる前に知る事ができたのは、あの失敗があったからだろう。それはとても運が良かったと思う。
多分、半数近い子供はそんな感覚を知らないまま大人になって、社会に出ても平気で、生い立ちや家庭環境や身体的な特徴などで悪気もなく人を貶している。人の上に立つ人でもそんな人は決して珍しく無い。
全く曲がっていない人間など、生まれたての赤ん坊等を除き世の中には いないのかもしれない。
だが、極めて真っすぐに近しい人間というのはいる。
その一人が、私の兄だ。
あれから十年余経ち、 彼は介護福祉の資格を取り、障害者支援の仕事をしている。
別に福祉の仕事をしているから真っすぐだと言いたい訳ではない。ただ、彼の素質が生かされる場所ではあるだろう。
私も出来うるなら真っすぐな気質を持って生まれたかった。が、これはもう才能の一種であり、残念ながら後から手に入るような代物ではない。
性質を変えることは不可能だ。
だが、時々横道に逸れそうになった際に軌道修正を図るのは、 心の奥底にある「まっすぐの見本」 である。
それらは子供の頃の記憶や 日々入り込む情報、或は元来そこにあった自身の一握りの正義から姿を成し、「お前はそれでいいのか」と内側から声をかけてくる。
まっすぐな人間というのは、このような体内の指針が極めて正確で、かつそれに忠実な者の事を呼ぶのかもしれない。
数年前、すっかり大人になったyちゃんを地元の観光農園で見かけた。
相変わらずひょろりと背が高く痩せていたけれど、手を引く小さな子供と笑う姿は何処か柔和に見えた。
私は何も見なかったように立ち去った。話す事など何もない。
意に反して成長する身体、 似合わない制服、小さくなるジャージ、服従するべき親。
それらの呪縛から解放され、新しい家族を持って、もしかしたら彼女は変わったのかもしれない。
彼女の着ていた明るい色のワンピースは、身の丈に合い、良く似合っていた。
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