「ぼっち」と告げられて
今年の3月に、転校。
新しい土地へ引っ越して、またゼロからのスタート。
なんだかんだで小学校入学以来、転校するのは3回目の息子たちだから
「もう慣れてるから大丈夫だよ」と心強い言葉を言ってくれていたものの
始業式があって間もなくの休校。
再開したかと思いきや、グループを分けての分散登校。
そんな日々だから 無理もない。
「俺、ぼっちだわ」
次男からそう打ち明けられた。
これまで次男は、小学校4年生で転校、小学校6年生で転校と
2度転校を経験しているが
一度目の転校の時も、いろいろあった。
彼はとても繊細で、家では喜怒哀楽激しいが
家族以外の前では、とてつもなくおとなしく
自分を押し殺して周りに合わせるようなところがある。
そのため、家に帰ってくるとお腹が痛くなったり熱を出したり。
私にとっては、彼が昔の自分と似ていることがとても苦しく
そういう姿を見るたびに「なんで〇〇なのよ」と、彼を責めるようなことを言ってしまったこともあった。
そんな気質のままでいたら私のような生き方になってしまう
という恐れから。
***
彼は彼なりに頑張っていた。
6年生で転校した時は、全校生徒200人弱のところから
いきなり700人近い学校に転入したにも関わらず
そこで部活動にも入り、気の知れた友だちもでき、楽しくやっていた。
もちろん、部活動の初日だって、今でも覚えているが
彼を練習場所に車で送って行った時
車から降りることさえできず固まっていた。
車の窓からは、すでに集まって準備を始めているクラスメイトが見えているなか
「え、降りていいの?え、俺行っていいの?」と
私たち親にGOと背中を押されないと飛び出せないぐらいの緊張具合。
そんな彼が、友だちと笑いあっている姿を見ることができた時。
引っ越しの前日まで、友だちが「遊ぼう!」と誘いに来て
「母さん引っ越し最後の片づけ後でやるから行ってくるね!」よ
嬉しそうに自転車で駆け出して行った時。
引っ越し当日、夜の船での移動だったが
部活動の生徒みんなが彼のために見送りに来て
みんなにもみくちゃにされながら笑っている彼の姿を見た時。
友だちの前でも、あんないい表情できるようになったんだ・・・。
親として、とても嬉しかった。
中学時代にイジメにあい、それがきっかけで高校時代や短大時代も人におびえ続け、まともな学校生活を送った記憶がほぼ無い私にとって
我が子がイジメにあわず友だちと楽しく過ごす
ということが、まるで自分の過去を消し去ってくれる気がして
それが安心材料となっていたのかもしれない。
そもそもその考えが間違っているんだけど。
***
ところがその安心材料も、簡単に吹き飛んでしまった。
「ぼっち」
この言葉は、私の傷口をまるでえぐるような、かなり痛みを伴う響きだった。
頭では分かっている。
友だちなんてわざわざ作るものでもないし
友だちがいるイコール素晴らしいというわけでもないし
「ぼっち」ということを不幸に思ったり心配したりするのではなく
問題は 彼本人が「ぼっち」でいることをどう思っているのか。
もし彼がそれでも気にしないなら何の問題もなくて
もし彼がそれをひどくストレスに感じているのであれば
親としてできることは何か考える必要があるだけ。
ただそれだけのことなのに。
どうしても私の脳裏にはマイナスな考えばかりが浮かんでくる。
「独りぼっち」って、誰にも相手にされていないってことなのかな。
ってことは昔の私と一緒だ。
イジメられていたあの頃、真剣にかばってくれる人や
そのことについて話をできる相手も誰もいなかった。
みんなが私のことをバカにしたり笑ったりしてる時も(思い込みもあったと思う)
誰にも助けてもらえず苦しくて、気づいたら気を失っていたこともあった。
「ぼっち」なんてすごく悲しい、むなしい、恥ずかしい・・・。
そんな風に思う自分も情けなくて
私はしばらく夕食の準備に追われているふりをして
ハンバーグのタネをひたすらこねながら必死に言葉を考えた。
正しくは、言葉が浮かんでは消え、浮かんではかき消し
一生懸命「適切」な言葉を残そうとした。
結局、ハンバーグのタネの中に炒めたタマネギを入れ忘れたまま生地をまとめてしまうまで
考えに考えた末
私が彼と交わした言葉。
「そっか、ぼっちなんだ。学校始まってすぐ休みになったんだし、まだクラスメイトの顔も名前も分からないでしょ。無理ないよ。それで、あなたはその状況どう?苦痛?」
「うーん、苦痛なのかな、蕁麻疹が1日中おさまらない。
座ってるだけでもブツブツ出るから、休み時間ずっと立ってるし」
「もし嫌ならさ、別に学校行かなくていいよ。」
「え?いやそこまでは思ってないよ、勉強はしたいし」
「そっか。じゃあとりあえず、蕁麻疹は、前からかゆいって言ってたもんね。近々病院行こう。」
「うん、とりあえず、今の学校楽しいとは思ってない」
「そっか。」
「うん、勉強のためだけに行ってる感じ」
「友だち欲しいって思う?」
「んー 別に・・・」
「なら別に、ぼっちでもありなんじゃない?学校にいる間のクラスメイトと一生一緒に過ごすわけじゃないし。たまたまそこに、あなたと気の合う人が今のところ見つからないってだけなのかもしれない。
高校行ったり、大学か働くかしたら、またそこでいっぱい出会いがあるよ」
「うんそれは分かる。だから俺ももうあんま気にしてない」
「まぁ、学校行きたくないほど悩んだ時はお母さんたちに言ってね」
「言ったらどうするの?」
「あ~。転校なりなんなり考えるから」
「え、でも転校とか大変でしょ?」
「大丈夫。この家、引っ越してから床傾いてるんじゃないか問題とか、水まわりのトラブルとかけっこうあるじゃん。お母さんもまたいい所見つかったら引っ越そうかってお父さんと話してるし」
「マジで?・・・まぁそれもありだね」
***
ああ、これで良かったんだろうか。
この接し方で合ってたのかな。
これでも必死に、彼の逃げ道を作ったつもりだ。
彼がどうしようもなくなったらSOSを出しやすいように。
どんな答えが正解なんだろう。
私には分からなくて。
思春期の息子は、口数が少ない。
ちょっと私が説教じみたことを言おうものなら
ものすごいふてくされた顔で「あ~分かった!」と言って
部屋のドアをバン!と閉められるなんてしょっちゅうだ。
それに対して私が「何よその態度は!!」とブチ切れてしまうこともある。情けないけど。
それでも
「ぼっち」と打ち明けてきたってことは
何か解決策を求めたからなのか。
それともただ言うだけでスッキリしたのだろうか。
私にできることは何だろう。
彼は今の環境によく耐えている。
ピアノの発表会の後に熱を出すほど緊張するタイプだし
学校から帰ってくるとゲップが止まらないことも多い。
緊張で常に息を飲んでいるのだ。
そんな彼が「ぼっち」であることをひけめに感じずに安定して過ごすために
私ができることと言えば
美味しいごはんを作ってあげることぐらいしかないかもしれない。
ゲームの時間を多少過ぎたぐらいでグチグチ言わずにいてあげることなのかもしれない。
でも本当は
私が彼にしてあげられることはほとんど無くて
私が今すべきことは
私自身が、たとえ「ぼっち」になったとしても
それを恐れずに受け入れられるようになることなのかもしれない。
私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀