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わたしが紅茶教室を始めた理由④

荒んだココロに効くお茶

前回、「紅茶の美味しさを皆とシェアしたいから紅茶教室を始めた」

と書きました。その「美味しさ」の裏には記憶とか色んな要素があるかもな~と言う話でした。

私には、紅茶の美味しさを思うとき、もうひとつ大きな要素があります。

私にとって、紅茶は美味しいだけでなく、セラピー(癒し)を越えてある種のレメディー(薬)だった時期がありました。

私は、会社員時代に本当にひどく心が荒んでいた時期があって、多分狂っていたなと思います。まるで裸の王様のようなイタイ社員で数年間を送っていました(苦笑)。今思えば、なぜもっと冷静になれなかったのか不思議で、猛省するばかりです。でも当時はココロもカラダも、もうどこから自分を整えたらよいか分からなかった時期が長く続きました。職場ではご法度とかよく言われるけれど、なぜか涙が止まらずなんか悲しくて情けなくて悔しい(笑)でも時間に追われトイレに行って鼻をかむひまもなく、眼を赤くしたまま働き続ける・・・そんなこともありました。今でこそ、命を落とさなければなんでも大したことない!って思えるようになったのですが。昔の職場の皆さん、その節は本当に本当にご迷惑をおかけしました。。と思わずにはいられません。

話がそれましたが、とにかくそんな状況だったので当時は自分で自分を責めたり人間不信になったりして休日は引きこもるか実家に帰ってばかりいました。そんな私に、自分で自分を癒す時間は作れると教えてくれたのが、姉が買ってきてくれた紅茶でした。

姉はパッケージが可愛いからと買ってきては、「はいあげる^^」と紅茶缶を私にお土産で持たせてくれ、ティーバック以外は飲まなかった私でも、一人暮らしの部屋でもくもくと紅茶を淹れるようになりました。

初めは正直、なんとなく家にあるから、せっかくもらったから、、とせっせと飲む日々。

でも、紅茶を淹れて始めてからだんだんと気付きました。紅茶を淹れた後の自分は、不思議とギスギスせずにいられている・・・!と。夏でも芯まで冷え切ったココロとカラダに紅茶が沁みわたっていく実感がありました。姉の妹を想う気持ちもこめられていたかもしれません。赤く澄んだ木の香りがするあたたかい飲み物。紅茶っておいしいんだな~としみじみした憶えがあります。

それからというもの、姉と一緒に紅茶専門店に行って紅茶を買ってみたり、チャイを淹れてみたりして、自分を労わる時間を持つことを始めました。それまで趣味は仕事みたいな人間だったけれど、お茶が遊びの余地を与えてくれました。

紅茶を定期的に購入するようになって、紅茶店から送られてくるフリーペーパーをぺらぺらとめくりながら、いつかこの地へ行ってみたいな、と何となくぼんやりと思い描いていました。

そのうちに、どんどん紅茶にはまっていき、本を買ったり雑誌を切り抜いたり、お店を回ってみたりしていきました。

私はその後、紅茶以外にも「アーユルヴェーダ」や「冷えとり健康法」などに出会い、自分を整える方法をいくつか実践し続けて無事に更生?して今に至るのですが、きっかけになったのは、「自分を労わるために紅茶を丁寧に淹れること」だったなと今になっては思います。

私にとっての「喫茶去」は紅茶だったのかもしれません。

まずは色々あっても、日常の茶飯事に集中して落ち着きなさい。と。(これはあくまで私の解釈ですが)

丁寧に淹れた紅茶の美味しさは、心を救ってくれる。依存ではなく、強力でもないかもしれないけれど、何気なくそっとじわじわと。

だから、必要な人がいるならば、紅茶の美味しさをシェアすることで、何か自分を大切にするきっかけにしていただけたら嬉しいなと思っています。

もちろん、誰かに淹れてあげる喜びや誰かに淹れてもらった喜びも同様に。

今日は長くなってしまったので、セイロンティーに惹かれた理由はまた追って。。


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