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ソシャゲの配布キャラを好きになって、人生が変わった話。

元々型月が好きなこともあって、FGOをもう5年もしている。元々は違うキャラクターを推していたが、色々あってそのキャラも二次創作も見るのも辛くなってしまいゲームも辞めようかとしていた時だった。

私の推しは、FGOの配布サーヴァントだ。配布サーヴァントというのは限定イベントで貰えるアイテムのようなもので、期間内にクリアという時間制限はあるもののイベント内で条件をクリアすれば必ず貰えるものだ。推しは元々は漫画のキャラクターで、FGOのイベントに合わせて実装された。配布ということで、最初は確かタダでラッキーくらいにしか考えては居なかった気がする。

その年、作者の出した同人誌を読んで私はめちゃくちゃ傷付いたのだ。元々推しのモデルになった偉人にはあまり興味が無かった。だがイベントの内容やセリフが良くて、正直泣いてしまった。ただゲーム内の設定だけではキャラクターの成り立ちがよく分からずじまいだったので、補完するような軽い気持ちで読んだのだった。

大元の漫画版は可愛いらしい絵柄と、淡々とした台詞でシンプルな構成だ。なのに、どうしようもなく傷付いた。まるで鋭い刃物でグサリと刺されたような感覚だった。今なら分かるが、作者は読む人を刺すつもりで描いたんだと思う。そうしてグサグサに刺されて傷付いた痛みを癒すように、とりあえず手を動かし始めた。例えるなら「このどうしようもない気持ちをどうにかして形にしないとおかしくなってしまう」という感じだった。

だが、漫画どころか絵の描き方なんか分からない。訊ける人も頼れる人も周りには居ない。とりあえずググった。先人が残した数々の記録を見ながら、インターネットのありがたみを噛み締めた。幸い道具は手元にあったので、漫画を描く為のアプリや印刷所への入稿やらなんやらまで、全部一人で調べてどうにかした。

仕事でクタクタになりながら、夢中で絵を描いた。何がしたいのか分からないまま、とりあえず手を動かした。下手だけど、自分でも意味なんかよくわかんないけど、とにかく描いた。風呂に入る途中に急に思いついて、半裸で描いていたら真夜中になっていた。これほど突き動かされたことは、生まれてきてから一度もなかった。それくらい熱中して描いた。寝る間も惜しんで、何も考えられなくなるほど描いた。

そうして、イベント当日を迎えた。ほとんど初めて描いた漫画、売れるかなんて全く分からない。そもそも、関心を持ってもらえているのかすら分からない。一冊も売れなかったらどうしよう。怖い。恥ずかしい。こんなの、意味が無いのかもしれない。なんでここに居るんだろう。周りを見渡せば、プロのように上手い人ばかり。そうして自分の本が、急にみすぼらしく見える。でも、そうしなきゃいけないという何かに突き動かされた。だから、逃げるわけにはいかなかった。これは、私を生かしてくれた証明だから。それにもしかしたら一人くらいは、わかってくれる人がいるかもしれない。ああそうか。私は、誰かに自分を分かって欲しいから漫画を描いていたんだとようやく気が付いた。

子どものころあれほど憧れた、即売会の机の向こう側の世界。きっと絵が描けて本が出せるような人は、何をしても楽しくて幸せなんだろう。私には、きっと縁の無い世界なんだろうな。そんなことはなかった。どんなに稚拙でも、アウトプットが出来るというのはそれだけでもう才能だ。アウトプットせざるおえないというのは、ある意味業に近い。即売会の机の向こう側にになって、ようやく初めて分かった。好きを表現するのは、赤の他人に自分の頭の中を曝け出すのは、こんなにも怖くて恐ろしいことなんだと。

幸いにも本は手に取ってくれる方がいて、心底報われた気がした。こんな私の作ったものに関心を向けてくれて、お金を出してくれてありがとう。私に自己肯定をさせてくれてありがとう。嬉しくて、本当に嬉しくて、こんな気持ちにさせてくれたのは多分このゲームがあったからだと思う。

残念ながら、推しとはまだ絆15(※パーティに組んでいると溜まる経験値のようなもの。15でカンスト)には至っていない。でも、まだ推しと一緒に冒険が出来ると思うと嬉しい。いつか推しを好きだったことが過去になった時、自分で描いた漫画をじっくり読もうと思う。「ああ、本当に好きだったんだなぁ」と、思えるようなものをまた描きたい。

FGOなんやかんや6周年がもうすぐだ。私はこのゲームが好きだし面白いと思ってる。なので、これからも運営には頑張って欲しい。いつも、楽しいゲームをありがとうございます♫(*´ω`*)