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非言語的コミュニケーション 私が気づいた大切なこと


私は15年ほど、医療的ケア児と呼ばれている子ども達が入院している施設で看護師をしていました。

そこで、【非言語的コミュニケーション】について学び、私自身も、このコミュニケーションをとても大事にしてきました。

非言語的コミュニケーションとは、言葉以外の表情や身振り、手振りなどで意思疎通することで、ノンバーバルコミュニケーションとも言われています。

障害のため言葉を発することが出来ない子供たち。自分の気持ちを言葉で伝えられないのは、本当にもどかしいですよね。

少しでも、子供たちとスムーズに意思疎通がしたいと、私も一生懸命でした。

付き合いが長くなってくると、ある程度の予想は出来るようになってきます。

表情や視線。体温や血圧を測ったり、体に傷が出来ていないか、お通じはちゃんとあるのか、暑くないか、寒くないか。

いろんなことを考え、観察ながら対応をするのですが、訴えてくれている内容が分かり、疎通ができると嬉しくなりました。

訴えてくれていることを理解し対応できる。
これは、私にとってとてもやりがいを感じられる瞬間でした。



そんな経験をした私ですが、義父が認知症になったとき、訴えたいことはなんなのかを知る努力が出来なかったんです。

言いたいことを言語化できない。聞いたり読んだりしても、その言葉の意味が理解できなくなってしまう状態を【失語】というのですが、義父にもその症状がありました。

白衣を着て仕事モードの時と、エプロンをつけて主婦モードの時と、同じように向き合えなかったんです。頭では切り替えて義父と関わりたいと思うのに…。

義父自身、意思はあるのに、思う様に表現出来ないのは、本当に辛かっただろうと思います。

義父はもともと、とても几帳面できれい好き。胸ポケットにはいつも櫛をいれて背筋もピンと伸びて、穏やかな人でした。そしてメモをよくとる人だったんです。

ある日、そんな義父の部屋を片づけているとき、

~何もわからなくなってきている~

とだけ書かれたメモが出てきました。今思えば、それが義父が書いた最後のメモでした。

私はそのメモを見つけるまで、どれだけ義父が変わっていく自分に不安を持ち、葛藤しているなんて、考えたことなかったんですよね。

ショックでした。

看護師として、ある程度、認知症についての知識もあり、非言語的コミュニケーションを大切にしてきたはずなのに、一緒に生活している義父の気持ちを、全く配慮してこなかった自分が情けなくなりました。

と、同時にどれだけ知識や経験があっても、在宅で介護・看護することが、どんなに難しいのかも知りました。



認知症で、言葉の理解が難しくなってくると、表情やゼスチャーなどの非言語的コミュニケーションが有効なのですが、義父も私の発する言葉ではなく、表情などで私の言っている内容を汲み取ろうとしていたと思います。

私はコミュニケーションという言葉を使いながらも、病院でも義父の前でも、自分が相手にどんな風に見られているか、深く考えたことがありませんでした。

コミュニケーションって、意思疎通、思いを伝えあうものなのに、余裕がなくて、相手の思いを理解することばっかり集中してしまってたなって思うんです。

そして、意思疎通が出来たとき、私が本当に嬉しくて、やりがいを感じていたことが、表情や雰囲気から少しでも伝わっていてたらいいなって、今振り返ってみて思います。

義父も亡くなり、現場から離れてしまったけど、最近になってようやく分かったこの気づき、大事にしたいです。


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