入院日記最終日わたしはもっと人間が知りたい
日曜日M来るってよ。
夫から昨日LINE。長男が家にくるらしい。
私はわあいと返事を送った。
偶然ではあったが、今回ちょうど同じくらいのタイミングで私の入院と彼の一人暮らしが始まった。
ずっと以前から一人暮らしはするからさと
たびたび口にしていたから
いつかはこうなると思っていたし、
頼もしいとも思っていたし
反対とか寂しいなんて気持ちは、自分にはさらさらないと思っていたが、
入院が重なったことで
こんな形で長男がぐんと離れることになるのかと
なんとなく自分の戸惑う気持ちを意識せざるおえなかった。
この日をもっと丁寧に迎えたかったようにも思ったのかもしれない。
今回は私が金曜日に退院するときいて、
日曜日お母さんに会いに行くと言っていれているのだという。嬉しかった。
彼は幼い頃鉄ちゃんであった。
鉄ちゃんとは、鉄道オタクのことである。
幼い頃の長男の人嫌いは濃厚でそこからの鉄道熱への移行は早かった。彼が1歳の時に移り住んだ今居る地域はラッキーにもなかなかの乗り物が数多く見れる街だったので、児童館にも公園にも泣いて行きたがらない彼が唯一嬉々として靴を履くふみきりに、毎日2人であししげく通った。
そこから彼の鉄ちゃんヒストリーが始まる。
時刻表の存在に目覚め、すり切れてボロボロになるくらい隅々まで読み込んではコクヨのノートに架空の計画を書いて書いて書きまくっていた。
一人旅は10歳の群馬県への旅から始まり、
当時にしかなかったお得な切符や国の決まりに引っかからないお得な乗り方を駆使して、とにかくあらゆる種類の鉄道に乗っていたようだ。誕生日プレゼントに特別な電車の乗車券を提案され、私の切符も購入し、彼の趣味を一緒に満喫できたのは今でも大切な思い出だ。
古い昭和な鉄道が好きで一緒に乗るとそれこそマニアなお兄さんやおじさまたちが息子に声をかけてくれた。
あんなに人嫌いだったのに普通に話している彼を見るのは不思議だった。
基本私は鉄道はどこかへ行く手段という意識しかなかったので、鉄道に乗るだけで観光もせず満足するという感覚や無人駅に目をキラキラさせる彼の情熱への理解には程遠かったと思う。
でも、
彼の情熱そのものをみるのがたまらなく嬉しかった。
私は、彼が小学生高学年頃から中学生高校生の時はもうどんな鉄道ライフを送っているのか知らなかった。
もともとあまり喋ってくるタイプでもなく、いつのまにか反抗期にも突入していたようで(笑)
鉄道どころか彼の行動は謎であった。
いまでも少しそんな人だ(笑)
でも時々ポツリと、
飛行機に乗って香川に行ってきたとか
北海道の最北端に行ってみた。とか言って家族を驚かせた。
高校生になるといつのまにかパスポートを作り、
アジアにも行くようになり、特にタイの人のあたたかさに魅せられたようだった。
荷物らしい荷物ももたず、それはまるでコンビニでも行くように行ってしまう。
今考えれば私も私である。
実際ママ友達に本気で怒られもした。
私は彼が高校生になるまで携帯も買ってあげないことを貫いていたし、そんな危険なことよく許すねえ!と本気で呆れる友人もいた。
一人で海外に行き、安い宿に泊まるためには、時に知らないだれかと相部屋で寝ることもあるのだと聞いた時はそんなの怖くないの?と驚くと
彼は「コンタクトを目に入れる方が怖い」と笑った。
「僕は鉄道じゃなかった。
やりたかったのは旅だったんだよ」
いつしかそう言って時間とお金が許すかぎり旅を続けるようになる。飛行機も限りなく安いものを選ぶから乗り継ぎの乗り継ぎの乗り継ぎだったりして。
心配だから着いたらLINEしてと言っても
たまーにスイカの写真とかが来るくらい。
でもそれは日本ではない独特の朝の光が満ちていたりして、
その一枚の写真で
私は彼が旅を楽しんでいることを知り、嬉しく思った。
この長男の旅好きに張り合うかのように、更に追い抜く勢いで、娘の旅熱が始まるのだが、本当に不思議なくらい彼らは急に意気投合するようになる。
そう、本当に不思議なのだ。
たしかに私は彼らに「好きなことが一番」というメッセージは常に発信してきたつもりだった。
それを今3人とも持っていることに関しては
とても頼もしいと思っている。
しかし彼らの興味の世界は
全く私の理解の範疇にはなかった。
母親の私が得意だったとかススメていたとか
せめて知っている世界であれば、あのルートからの情熱?と予測もできるが、
私の全く知らないような分野で
彼らの独特の世界がまたたくまに繰り広げられていった。
私は今すべて彼らから教わることばかりだ。
でもおもしろくておもしろくてたまらない。
私は子どもたちに夢中で聞いている。
そうなんだ!それで?どういうこと?と毎日のように彼らと話がつきない。
私ももっと知りたくなって自分から調べてみるとまたおもしろい世界を知り、私の好きな美術方面に入ることがあると今度は私が得意になって言ってみたり。(でもこの前次男にお母さん自慢しているみたいで嫌だと言われた。ごめん…)
不思議なくらい3人とも誰も美術系にはそれほど興味をもたなかったのは残念だったけど。笑
娘の興味は今ではもうどうなっているのか、
もしかしたら本人もわからなくなっているのではないか笑と思えるほど多岐に渡って広がっている。
語学から文化、経済にながれ、社会情勢を知り
今起きている戦争と
大きく揺れ動く政治にも興味津々だ。
しかもこの間きいたら、
留学先での最初の分野はジオグラフィーなのだという。地理学?これまた新たな項目である。
ジオグラフィーと聞いて私は大好きな雑誌、ナショナルジオグラフィックをすぐに思い出したが、
美しく素晴らしい写真が科学から地学から環境問題からありとあらゆる情報を伝え、
それこそアートに結びつくこともあり、
ジオグラフィーの幅の広さを物語っている。
娘はジオグラフィーの学びから
更にまた知識も興味も広げていくことになるだろう。
今回の入院で私は人間関係とか自分の不安とか両親のこと、会いたい人のことなどたくさん考える機会を得た。
ああいままでこういうことをこんなふうに考えてみたかったんだなあとつくづく感じたが、
同時にそれらが
すべて人間なんだ、と思った。
人間がもっと知りたい。ということなんだ。
私はそんな自分の気持ちに気づいた。
3人の子どもたちの育ちは三者三様で
一緒のお腹から産まれて同じ環境で育っても
人間はひとりひとりだった。
自分らしさを立派に持っている。
あたりまえのことかもしれないが
私には不思議に思えた。
育ててみてわかったこの事実は誰にでもあてはまることなのだろうか。
人間の「人間」はどのように形成されていくんだろう。
娘もまた今、
人間を知りたいのだと思う。
その彼女のありあまるエネルギーは
これから世界に飛びたっていくのだ。
彼女の知りたいことは
今の地ではものたりないのかもしれない。
娘が15か16だった頃
私になぜ子どもを産んだのかと聞いたことがあった。
それは、けして穏やかな雰囲気ではなく、私はハッとした。
こんなに苦しい思いをするとわかっていたら
私は絶対に子どもは産まない。
子どもを産むのは親のエゴ以外の理由がない。と言った。
私はしばらく考えて答えをさがしたが、
やはりどれも子どもから望んでうまれてくるような真実はみつからない気がした。
無理矢理当てはめようとしても、結局は産む側がそう望んでいるような内容しか思い出せず、どうしても始まりは親の方からしかないなという気がした。
だから、そうだね、言う通りだと思う。と言った。
私も昔こんなふうに、
いやもっと激しく母に突っかかっていったことがあった。それこそみんな通る道なのかもしれない。
私は娘と同じく啖呵をきるようにいった。
絶対子どもは産まない!
すると母がボソリと言ったのだ。
「さびしいわよ…」
私は驚いた。
晩年母自身も認めるくらい、
私たち親子関係は子ども時代から冷たく、
うまくいっていなかった。
今になって思えばすべて甘えだったのだが、
私は様々な問題をおこし、常に母を恨むということで
自身を正当化させていたと思う。
母に嫌われている愛されていないという悲しみがやがて怒りとなりいつも心にしこりを残していた。
だから、母のその言葉は本当に意外で、
あの時感じた目の覚めるような喜びを私は今も忘れることができないほどだ。
私たちがいなかったら寂しかったかもしれないなんて、ママも思うことがあるんだ!
私はその言葉に藁をもつかむ思いで希望を感じた。
そんなことを思い出しながら
私は今娘に伝えたい言葉を探った。
「会ってみたかったんだ。」
自分の子どもに会ってみたかった。
あなたに会いたかったという思いを伝えた。
その後も娘は「生きにくさ」をいろいろな場面で口にするようになった。
それは興味深い内容だった。
がんばって結果をだしても
またそこでがんばらなくてはならない。
いつまでたっても終わりがなく、大人はそれを目標にと
あたかも未来は輝いているように言うが、
苦しいと気づいてしまったら終わりなんだ。
たしかに輝いてもいるけど絶望でもあるんだ。
こんなわずかなバランスで保たせている世の中、
なにが幸せだというんだろうか。
若さとか健康がとにかく大事。
それがなんだか怖い。
それがなくなったら社会は私を必要としないのがわかるんだもん。
いてもいいけど本当はいらない。
私たちは使い捨てにされるのがわかって生きてるんだ。
SNSは全部やめたんだ。
楽しさと虚しさの繰り返しが体によくないよ!
娘はこれからどんな「人間」を学ぶのだろう。
娘はそれを
どんなふうに受け止めていくのだろうか。
どんな人間になっていくのか。
私は彼女のこれからが今から楽しみでしかたがない。
病気で変化したのは
身体だけではなかった。
変化は不安だけじゃない。
人間が変わることで乗り越えられることもあるのだ。
私は人間をもっと知りたい。
退院おめでとう、私。
私よ、これからもよろしく!
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