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好きで勉強しているわけじゃない

週末が終わった!日曜日の更新はいつも開放感に溢れているが、書くことがあまりない。でも書かねばならないので書きます。体調が引き続きあまり良くないので今日も短め。

週末はほぼ一人で3歳児の相手をしなければならないので、必然的に家の中におもちゃがどんどん増えていく。3歳児はダンスが好きなのだが、私はこれがめちゃくちゃ苦手である。他人と動きを合わせて一緒に踊ることに居心地の悪さを感じてしまうので、例え3歳児が相手でもどうしてもぎこちなくなってしまう。

最近は主に学習ドリルをやっている。いわゆるお受験向けのものからそうでないものまで、3歳児が可能な範囲の全てのドリルを買ってきて順にトライさせている。3歳児は迷路と図形問題が特に得意だ。難しいものでも数分放っておくと正解まで辿り着くので、その間私は横で本を読んだりしている。最初のうちは手元をじっと見ていたのだが、3歳児はオーディエンスがいると格好つけて間違いを必要以上に忌避するようになり、却って正解に辿り着くまでの時間が延びてしまうので、最近は努めて放っておいている。

特に小学校受験をさせる気もなく、単に私が気楽だからという理由で学習ドリルを買いまくっている。娘も負けず嫌いなので、学習ドリルを与えると無制限に問題を解こうとする。これで半日くらいは時間を稼げる。
他の遊びと違って、学習ドリルには絶対の正解があり、主導権を握るのは親になる。正解がある遊びは親にとっては気楽だ。ダンスもおままごともブロック遊びも正解がなく、子どもの決めたとりとめもないルールに従って親は振り回されることになる。

今日は数字のドリルをやっていたのだが、3歳児にとってはとっては15以上の数の概念がまだまだ難しい。気を抜くと数字を飛ばして数えたりするし、そもそも15以上の数の大小について考えるのがまだまだ難しいらしい。
描かれた飴玉の数が一番多い選択肢に丸をつけましょう、という問題も勘で丸をつけるので結構な確率で間違いが起きる。一緒に数を数えて、18と19、どちらが多い?と尋ねても、ウーンと悩んでいたりする。選択肢の間に5個以上の差があると見た目で多い少ないを正しく判断できるのだが、18と19など、数で直接比較させようとするとまだまだ理解が追いつかないらしい。8と9の大小は分かるのに、18と19だと分からなくなってしまったりする。

"18と19、どちらが大きいかな?”と問われた3歳児は"18も19も多い!”と堂々と宣言していた。実際15を超えたあたりから彼女にとってはどちらも”大きな数”という認識なんだろう。私も恒河沙と阿僧祇のどちらが大きいか即答できないし、多分そんな感じなんだろうなと思っている。数にはそれぞれ絶対的な大きい小さいがあるわけではなく、大小はあくまで相対的な話なのだが、その辺りを3歳児に噛み砕いて説明するのはとても難しい。

最近はマグ・フォーマーでも遊んでいる。パーツが主に正方形と正三角形で構成されていて、単純なパーツから複雑な立体が組み上がるのが面白い。平面の展開図を作ってから上に持ち上げるようにして立体化すると、磁石同士がくっついて美しい立体になるのに爽快感があり、むしろ親の方が熱心にやっている。
3歳児はまだまだ目的の立体から展開図を作成するのが難しいらしく、主に平面で正三角形を組み合わせて六角形を作ったりしている。これも正解がある遊びなので割と親が主導でやりやすい。

どうしても子どもとの遊びが勉強寄りになるのは、それが好きだからというより、一人で子どもの相手をするのはどうしようもなく時間を持て余す行為で、かつ、勉強がやっていて一番気楽だからだ。好き好んでやっているというよりは、一番気楽な選択肢で時間を潰しているというのが正しい。
これは育児に限らず、人生全般において言えることだと思う。何もかも、私が好き好んでやっているわけではなく、人生というものは慢性的に時間が有り余っていて、一番効率よく時間を潰せる行為を趣味と呼んでいるだけのような気がする。

Big Love…