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不要不急に賭ける

最近育児のことをあまり書いていなかった気がするから書こうかな。

3歳児がもうすぐ4歳児になる。最近はだいぶ人間らしくなってきて、会話がちゃんと成立するし文字も書けるようになってきた。

3歳児の朝は早い。6時くらいに起きて、親が寝汚くベッドに潜り込んでいる間に床で塗り絵をしたりしている。

最近着替えが自立したので朝の準備がかなり楽になった。赤ちゃんだった頃、保育園に連れて行くまでが本当に大変だったことを思い出す。朝子どもを起こす前に完璧に朝ご飯のセッティングをしておいて、ご飯は介助しないと食べられなくて、ご飯が終わったら着替えさせて…もちろん自分の出勤の準備もせねばならず、本当に大変だった。

今は子どもは朝起きたら私が台所に立っている間に着替えを自分で済ませられる。朝ごはんは好きなものを出せば自分で食べてくれる(気に入らないものを出すと”食べさせて〜”と赤ちゃんになる)。めちゃくちゃ楽だ…成長ってすごい。

園から帰宅した後も、脱いだ服はきちんとハンガーに掛けるし、園に持って行った水筒を洗うために台所まで持ってきてくれる。こういう細かいタスクが自立したのが本当に嬉しい。

所詮は3歳の子どもなので、機嫌が悪いと何もしてくれないことはある。それは仕方がない。こちらが手伝わないとダメなのと、本当はできるけれど手伝ってあげることの間にははるかな距離がある。同じことをしていても、心理的な負担は全然違う。

最近は街で看板を見つけるとサササと近寄っていって、ひらがなを読むようになった。アルファベットも結構読める。カタカナはまだ無理。漢字の概念は全く理解できないようで、一文字で複数の音数があることに混乱していた。

森、という漢字を指差して、”ほら、木が三つあるでしょ”と言ってしまったのだが、そもそも3歳児はまだ木という漢字を知らないのでポカーンとしていた。そりゃそうだ…完全に私の教え方が悪い。

品、だったら分かりやすいよな。四角が三つあるでしょって教えられる。看板を眺めていると、漢字って形が複雑すぎるな…ということに気づく。場、とかどうなってるんだよ。遊、もどうかしてる。3歳児に説明するには形が複雑すぎる。


今日は帰宅後、ES Music Gardenの映像を観ていた。

数年前からプレイしているあんさんぶるスターズ!!(通称あんスタ)というソシャゲのライブ映像で、ブルーレイディスクが発売されている。私はかなりライトなファンなのだが縁があって観ることができた。

ライトなファンと言ってもアプリにはそこそこ課金をしていて、ストーリーも1年くらい前まではかなり細かいところまでしっかり追っていた。

ソシャゲの難しい点として、ストーリーやキャラクターが好きでも、ゲームシステム自体に魅力を感じられなくて飽きてしまう、飽きてしまうとログインしなくなり好きだったはずのストーリーやキャラクターすら追えなくなるという弱点がある。コンシューマーゲーを好んでプレイし慣れている身からすると、ソシャゲのゲームとしての面白さはかなり低いと言わざるを得ない(あんスタはそれでもかなり頑張っている方だと思う)。

私は本を読むのが好きだから、ソシャゲのストーリーだけ追える本のようなものを出してくれないかとずっと思っている。いわゆるシナリオブックだ。

でもシナリオブックだけを買うようなファンばかりだとお布施が足りないんだろうな…とは思う。あんスタもそうだけれど、キャラクターに好きな衣装を着せて踊らせたりできるアプリの開発には莫大なお金が掛かっているはずで、それはおそらくガチャなどに対する課金で賄われている。

じゃぶじゃぶ課金している時は気持ちよくプレイできても、課金しなくなると申し訳なくなってコンテンツ自体から離れてしまう。ストーリーだけを追うなら無料でいけるが、ちゃんとしたお客様でありたいという自意識がログイン自体をとどまらせてしまうのだった。

そんなわけで、私生活と仕事の忙しさからここ1年程度はソシャゲから離れていたのだが、久しぶりにライブ映像という形で触れることになった。

最初は家事などをしながら適当に流していたのだが、途中から画面の前で正座して観た。2時間以上の上演を観た結果、めちゃくちゃ良かったな…という感情でいっぱいになってしまった。

以前ディズニーシーの深夜のリハを観た時のnoteでも書いたが、エンタメに賭ける人間の熱意を感じると、胸がいっぱいになってしまう。

明日何が起こるか分からない不確かな人生を歩んでいると最近は感じることが多い。今日が幸福でも、明日がそうとは限らない。新型コロナで明らかになったが、エンタメは有事の際に一番最初に犠牲になる。不要不急で片付けられそうなライブやショーに、それでも莫大な金と情熱を注ぎ込んで作品として完成させようとした人がいる。

人がたくさん集まる以上、感染の拡大で中止になる可能性もあっただろう。針の穴に糸を通すように、様々なリスクを掻い潜って成功したライブ映像だった。今回のライブ映像は架空のキャラクターが歌ったり踊ったりするタイプのものだったけれど、舞台上に人がいなくともその裏に無数の人間の息遣いを感じた。

祝日は仕事と育児で終わってしまったのだけれど、面白そうな美術展が今月7日までの会期で行われていることを知って唸っている。随分前から開催されていたのに完全に見落としていた。仕事終わりに駆け込むか…?こういう時、土曜日や日曜日を外出に使えれば…と思うのだが、ないものねだりをしていても仕方がない。引いていた風邪もだいぶ治ってきたし、会期ギリギリに滑り込んでこようかな。

Big Love…