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危険な賭けに出る

こんばんは。今日は質問に答えます、木曜日のnote更新です。

30代女性です。私には発達障害の妹がいます。母から姉らしく振る舞いなさいと教えられ、妹本人からも慕われていましたが期待に応えることができす彼女を好きになることができませんでした。

幼い頃は妹を好きになりたいと葛藤していたのですが、気難しく意思疎通が取りにくい、いわゆる空気が読めない妹は精神年齢も幼少期のままに今は30代になりました。 私の葛藤も心配も色々な面で諦めがつくようになり、彼女を家族(チーム)としての好意はあっても、個人としては好きになることができない。彼女に困ったことがあったら家族として援助はするができれば関わりたくない。と自覚することで楽になることができました。

発達障害は妹とイコールではないけれど、ふわっと妹をベールで包んでいて、それが彼女の魅力であって、私はそこを好きになることができなかった。

結婚を機に出産について考える機会が多くなりましたが障害をもった子を愛することができるのだろうかとずっと考え続けています。ふんわりとした決意ですが子どもを持たないと決めています。

紺さんは出生前診断について興味はありましたか?もし障害児支援についてやその家族に対してお考えがあったらお聞かせいただけないでしょうか。

今回の質問、いただいてからかなり時間が経ってからの回答になってしまったのだけど、ちょうど話したいなと思っていたことの近くにいたので回答をします。

まず出生前診断ですが、染色体異常の有無を調べる検査ですよね。これについては興味はありませんでした。染色体異常が除外できても、他にも大なり小なり様々な困難を抱えて生まれてくるリスクはあり、その全ての可能性を潰すことはできないからです。

障害を持った子を愛することが出来るかというのも難しい問いですね。私が医者になろうと思った一つのきっかけとして、病気の子供とその母親を助けたいという思いがあります。

小学生の頃、通学のために毎日乗っていた電車に耳の不自由な子どもとそのお母さん、それから下の子どもの3人組がいました。耳の不自由な子はまだ小学校低学年くらいで、お母さんに構って欲しそうにしていたけれど、お母さんは下のお子さんがまだ赤ちゃんだから、そっちにかかりっきりだった。補聴器をつけた子どもはシュンとして、お母さんが忙しいと悟っていつも静かにしていました。

その光景を見た時に、なぜか私は、この子が耳の聞こえる子だったら、こんなに悲しい思いをせずに済んだんじゃないかと思いました。上のお子さんが耳が不自由で、お母さんは大変なんじゃないか。耳が聞こえる子なら、健康らしい赤ちゃんと同じくらい構ってもらえたはずなんじゃないか。ちょうど私は耳の不自由な子どもと同じくらいの歳だったので、子どもらしい思考回路でそんなことを考えたことを覚えています。

それから時は経ち、医学生になり、病棟での臨床実習が始まりました。小児科の病棟で何より衝撃を受けたのが、重い病気の子どもの入院に、毎日付き添っている親の姿でした。偶然だとは思いますが、付き添っている親は全員母親でした。

病気が重いと場合によっては年単位の付き添いになるわけですが、親はずっと病室にいて、子どもの相手をしています。個室ならまだマシですが、4人部屋だったりすると、病室として割り当てられるスペースの広さには限りがあります。そこに大きな子供用ベッドと、テレビ台と、それから大抵点滴台などがぎゅうぎゅうに詰まって、親がリラックスして過ごせる場所はほぼありません。

それでも、親は子どもの入院中、ずっと付き添っていないといけない。その決まりを知った時、私はかなり呆然としました。

子どもが病気を抱え、入院が必要なくらい大掛かりな治療を受けなければいけないことだけでも、親にとっては言葉で言い現せないくらいのショックでしょう。すごく悲しいし、混乱するだろうと思う。

そういう失意の底にいる人間が、どうして毎晩折り畳み式の硬いベッドの上で寝なければいけないんだろう。どうして、院内のコンビニに走って毎日同じようなものを食べなければいけないんだろう。他の親の目や医療従事者の目もあるからプライベートも皆無、病棟の風呂に入る時は時間を決められてのんびりすることもできない。正直、ひどすぎると思いました。

医療従事者として一応申し添えておくと、病棟は常に慢性的な人手不足状態で、子どもの相手をするだけの人員を確保することができないのが現状です。家庭に負担を強いた上でなんとか診療を回すしかなく、本当にこういうところに国がお金を使ってくれないものでしょうか…。

話が逸れました。

付き添い入院の悲惨な状況もショックだったのですが、一番嫌だったのが、”親なんだから当たり前だよね”という雰囲気でした。
10年も前のことなので、まだ共働きも今ほど当然ではなく、そうなると必然的に母親が子どもに付き添うことになる。数日や数週間なら耐えられるかもしれない。しかし、それ以上になってくると親も追い詰められるはずです。
子どもが一番辛いんだから、とはよく言われることだけれど、本当に一番辛いのは親なんじゃないかと思う。これは自分が親になったからなったから言うわけではなくて、独身だった頃から思っていたことです。

今回書いたのは極端な例ですが、人間を産んで育てるということはこういうリスクを背負うことなんですよね。自分の命と天秤にかけられるくらい大切な存在が、自分の生活や人生をめちゃくちゃにすることがある。

臨床実習から10年の時が経ち、私も歳を取り、子どものいる身になりました。病気を持つ子どもとその親に何かして差し上げられないだろうかと、最近はそんなことを考えていたので、タイムリーな質問だなと思って答えました。

同じだけの重荷を負ったとしても、周囲が”大変だね、助けてあげなきゃ”と思えるか、”子どもが一番大変なんだから親は頑張るのが当たり前だよね”と思うかで、渦中にいる親の気持ちはかなり違うはずです。

私は何があっても周囲のサポートが得られるだろうと確信した上で1人だけ子どもを産むことにしました。2人目は産むつもりはありません。子どもを産むこと自体がリスクを冒すことで、リスクを冒した以上は親が責任を取るべき、という空気がこの国には確かにあり、もう一度危険な賭けに出る気にはなれないからです。

育ててみて分かったことですが、子どもはどんな酷い親でも、親のことが大好きです。子どもの幸せのためにはまず親が幸せである必要がある。育児には大小様々なリスクがありますが、躓いた時に十分な助けが得られる社会であってほしいなと心から思います。


Big Love…