見出し画像

1年前の文章なんて読み返せない

・年度末だ!!!4歳児の園が春休みに入ってしまったのでスケジュールがぎちぎちに詰まって完全におしまいになっている。

・先日、4歳児が仲良くしているらしい同級生のお母さんと園からの帰り道をご一緒することになった。

・他愛のない話をしながら帰り道を歩いたのだが、どうも相手の反応が芳しくない。違和感を覚えながら5分くらい一緒に歩いて交差点に着いた瞬間に突然強烈なデジャヴに襲われた。”あ!!私この人と同じような話をしながらこの交差点まで歩いたことがある!!!”とやっと気づき、めちゃくちゃ気まずい思いをした。

・相手は私のことを覚えていたのに私は完全に忘れていたのだった。しかも私は会話の引き出しが少ないのでおそらく前回と全く同じ話をしたのだと思う。最悪である。

・私の中で、他の子どもの母親たちは”なんかちゃんとした人”という箱に雑に詰め込まれている。以前の1回だけではなく再び、わざわざこの陰気で話しかけづらい私に声をかけてくれたのに、私の中では”なんかちゃんとした人に話しかけられてしまった!”という焦りだけがあり、そして”ちゃんとした人用の当たり障りのない会話”のストックが全然ないので前回と同じような話をして困惑させてしまったのだった。

・子どもを園に迎えに行くと決まって、子どもの帰りを待ちながら3人くらいで固まって楽しそうに話しているお母さん方がいる。ああいうのってどうやるのか全然分からない。今の園に通い始めてから1年以上が経過するけれど、いまだに私は誰の名前も知らない。


・今日は退勤後に買い物をした。百貨店で化粧品と春用の服を買う。買い物の後に待ち合わせて同僚と会い、しばらく銀座の街を話しながら歩き回った。すずらん通りのあたりで女性3人組に話しかけられたので”宗教の勧誘か?マルチビジネスか?”と身構えたのだが、道に迷っていただけだった。行き先をマップで調べて教えてあげて、事なきを得る。

・私は一人で歩いていると、まず他人に話しかけられることがない。多分相当とっつきづらいんだと思う。同僚は私より柔和な雰囲気だし、一人より二人の方がなんとなく話しかけやすいのは理解できる。

・私が一人きりだったらもっと、”なんだァ…?急に話しかけてきて…”という雰囲気を出してしまったかもしれない。しかし、私にも最低限の社会性はあるので、同僚の手前、一応ちょっといい人ぶって道案内をしたりした。隣に気心の知れた人間がいると、人は格好つけて良い人であろうとする。


・とよ田みのるの『これ描いて死ね』を読んだ。

・絵柄と表紙から、なんとなく”まんがタイムきららみたいな漫画なのかな…”と勝手に想像していたのだが、そうでもなかった。

・創作をやる人間に刺さる描写が多数あり、唸りながら読んだ。

・自分の初期のnoteが怖くて読み返せないのだが、それは、初期に書いていた文章が間違いなく”深刻ぶって同情を求める”ような文章だったからだ。書いた内容を否定するつもりはない。そこに嘘は書かれていない。

・初期の私はnoteを書くときに必ず、軽く指先で突けば血が吹き出すような記憶を探していた。自分にとって深刻な問題を探し、それについて書く。その繰り返しだった。

・更新が定期じゃない時はそれで良かった。でも、更新が週に1回になり、3回になって、そのスタイルでは立ち行かなくなった。週に3回も血の吹き出すような出来事が起きていたら身がもたない。しかし、それでもnoteは書き続けたかった。

・どうすれば良いのか考えた末、気軽に楽しんでもらえそうなライトな文章へと段々と移行していった。書いていくうちに、私はそもそも軽い口当たりの文章が好きだったと気づいた。幼少期から好んで読んだのはロアルド・ダールであり、もう少し大きくなれば井上ひさしや椎名誠を好んで読んだ。いずれも軽妙な文体が特徴の作家である。

・無論、ずしんと重い文章も大好きである。しかし、私が望む更新頻度は週に3回以上なのであり、それならば今の書き方が私にとってはベストなのだった。

・『これ描いて死ね』には創作の楽しさも、楽しくやっていれば必ずぶち当たる壁についても描かれている。概ね王道の展開なのに退屈さが全くなくてすごかった。作者は50代の男性とのことだった。この作品に辿り着くまでの苦労を(勝手に)思った。

・まだ2巻までしか出ていないので、最新作まで追うのは簡単です。3巻が出るまで繰り返し読むだろうな。最近読んだ中のベスト漫画でした。

Big Love…