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好きじゃなくても育てられます

今日は質問に答えるやつをやります。

私は22歳の女性なのですが、最近自分の出産と子育て・親との関係という二つのことについて悩んでいます。紺さんのnoteを読んでいると、これらのことについて共感したり、逆に不思議に思ったりします。

まず、自分の出産と子育てについては、結婚を前提に付き合っている彼氏が子供のいる家庭を望んでいるけれど私は子供を欲しいと思わないことについて悩んでいます。
子供を欲しいと思えない理由は3点あります。

・そもそも子供をかわいいと思ったことがなく、寧ろ騒がしくて理屈が通じないために苦手意識を持っている
・自分が親になったときに「親子」という非対称的な力関係の中で、自分が快適に暮らしたり自分の欲求を満たすために子供に力を行使してしまうことへの恐れ
・自分の子供と言えど別の人格を持った他人であるために、子供が性格が合わない人であった場合およそ20年に渡って愛情を持って接する自信が無い。

私は彼がとても好きなので彼の望むことを一緒に実現出来るならぜひしたいという一方で、子供を欲しいと思わない二つの感情の間で悩んでいます。
特に紺さんは、上記二つの苦手意識に関しては共有しているのではないかと勝手に思っているので、なぜ子供を産んで後悔していないのか教えて頂きたいと思いました。

そうですねえ、概ね質問者の方の私に関する予測は正しくて、私は子ども全般が特に好きではないです。
ただ、特に好きではないと言っても蕁麻疹が出るくらい嫌というわけではなくて、怖いと言うのが正しいのかもしれない。3歳の子どもと毎日接していて思うのが、子どもって自分以外の世界の見方を知らないんですよね。
大人になるにつれて、人にはそれぞれ違った背景があってお互いに分かり合うことは絶対にできないんだと(程度の差こそあれ)理解すると思うんですが、子どもって自分と世界が一体化していて、それゆえ他人への想像力というものがない。自分が楽しい時は他人も楽しいと思っているのが子どもだと思います。
だから、娘に限らず、子どもを眺めていると、ものすごく自己中心的だなと思う。自己中心的だから私は子どもという生き物全般がちょっと怖い。こっちの事情はお構いなしだし、気遣いなんてものがあるわけがない。でも、これは育てて初めて分かったことではなくて、育てる前から分かっていたことで、その怖さを親としての生々しい経験として知らないまま死ぬのは嫌だなという気持ちがありました。それで、子どもを育てようという選択をしたと思っています。

どうして子どもを産んで後悔していないのかという質問についてですが、子育ては幸い自分1人でするものではないからです。私が芯から孤独だったのはお腹の中に子どもがいて他人は誰も子どもの成長に手出ししようがない妊婦だった頃と、産後鬱気味で家に閉じこもって主に泣いていた頃だけでした。娘が3歳になった今、彼女は週に5回は園に通っていますし週末は習い事もしています。そうなると、母親の影響って正直めちゃくちゃ小さくなります。この調子でどんどん親の存在感を薄めていきたいと思っています。

それは私が良い母親じゃないからとかではなく、私という1人の大人が子どもに対して与える影響が大きすぎるのは危険だと思っているからです。親が子どもと相性が良いなと思っていても、質問者さんがおっしゃる通り、それは圧倒的な力の不均衡を利用した不健全な関係を築いているだけなのかもしれない。親だというだけで子どもは任意の大人のことを無条件に大好きになってしまうので、親以外の大好きをたくさん見つけてほしいと思っています。

一つだけアドバイスらしいことを(偉そうですみません、本当はアドバイスができるような親ではないですが)するとすれば、育児に関してある程度考え方が一致した人間をパートナーに選ぶことだと思います。それでも育児という理不尽を前にして揉めることは多々あると思うのですが、そんな時も対等にやりあえる関係であることも大切です。
私の場合、この二つの条件をクリアし、かつ夫が育児にかなり協力的で子どもが好き、実家が近くて親との関係もそこそこ良好、子どもが社交的な明るい性格で幼稚園や習い事を全く嫌がらないという諸条件がうまく作用して、こういう場所で他人に偉そうにアドバイスができるくらい余裕があるわけですね…。以上の話はあくまで私の場合です。もっとハードモードの育児は世の中に大量にあるし、私がいつそうなるかは(離婚、環境の変化による性格の不一致、病気、親の死去、娘の性格の変化など予想できることは無限にあります)全く分かりません。

同じ方から、もう一つ質問をいただいていたので続けて答えます。

また二つ目の親との関係です。
私は最近両親に対して非常に冷淡に接してしまいます。
私の両親は私を目一杯愛してくれて経済的にも惜しみなく支援してくれました。夫婦仲も良く、かなり円満で理想的な両親であると思います。
けれど、最近親子と言えど結局他人ではないかと思うようになってしまい、たまたま両親の元に生まれた私をなぜ愛するのかを不信感を抱いてしまったり、他人なのに私のパーソナルな部分に平気で踏み込んでくる不快感を感じてしまい、かなり両親に冷淡に対応してしまいます。
二人を悲しませたいわけではないのに、そんな対応をしてしまう自分が苦しいです。(当然両親の方が苦しいと思いますが、、、)
なぜ両親は私に愛情を注ぐことができるのでしょうか。実際に親からの観点からコメント頂けたら嬉しいです。

私は3年くらいしか親をやっていないので質問者さんの親御さんとはだいぶ親としての経験値が異なるとは思いますが、親からの観点でのアドバイスをとのことだったので僭越ながら答えさせていただきます。
たったの3年ですが、親としてこれまでの育児を振り返って見た時、常に目一杯愛したか、支援が惜しみなかったか、夫婦仲が良かったかは挟める疑問の余地がありまくりです。

たったの3年でもそうです。もっと優しくギュッとしてあげれば良かったと思うシーンなんて無限にありますし、夫婦仲だって常に順風満帆ニコニコ円満というわけじゃなかった。一つ屋根の下に暮らしていれば親同士、水面下で多少険悪になる日だってあります。
なので、子どもであるあなたに理想的な親と言わせるご両親は立派だなと思います。あなたの親御さんは、ちゃんと子どもに理想的な親の姿を見せ続けたんですね。

本当はそうじゃない日もあったはず…と親として未熟な私は邪推します(他人の親御さんに向かって本当にすみません)。しかし、本当がどうであれどうだって良いんです。例えハリボテであっても子どもが安心して育っていける環境を作ることが親としては一番大事なのですから。

親である以上、子どもを愛して安心させるのは義務だと私は思っています。上で散々子ども全般が大して好きじゃないと記述している私ですら、娘が生まれて此の方、自分の子どもって可愛いんだなと実感していますし、娘に危機が迫れば自分の命と代えても娘を助けようとするだろうと思います。

それは私が人間として上等になったとかでは決してなく、なんかそういうマジックが私の身にも起きただけです。多分、質問者さんの親御さんもそうなんじゃないかと思います。
マジックはマジックなので、タネや仕掛けがあります。親だからって無条件に子どもを愛せるわけじゃない。環境がプラスに作用して子どもを愛する余裕があったり、たまたま子どもの性格が親と相性が良かったり、諸条件が重なって、偶然愛せているだけのことです。
運良く十分に愛されて、そう簡単には嫌われたり冷淡に扱われたりしないという自信があるからこそ、質問者さんは両親に冷淡に対応してしまうのではと思います。責めるつもりは全くありません。それはすごく健全なことです。

遠い未来、私が親として同じ目に遭ったとしたら、むしろ密かに喜ぶだろうと思います。子どもが親に知られたくないパーソナルな部分を持ち、冷淡な態度をとるのは健全です。恐れず反抗してください。子どもは必ず親を捨てるもので、それが子育ての終着点だと私は思います。

今回の回答は以上です。
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Big Love…