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母を語れば

今朝起きたら他人のいいね欄が表示されなくなっており、タイムラインが阿鼻叫喚になっていた。

私は他人のいいね欄を見ないし、いいね欄を覗かれていることは知っているが特にそれ用にいいねを整えたりもしていなかったので無傷である。いいね欄愛好家の皆様、心を強く持って生きてください。

いいねをスクショして見せることはできるんだけれど、多分それじゃ愛好家たちにとっては意味がないんだよな。こっそり覗いてる感も楽しんでいたんじゃないかなと思うから。

昨日から、この本を読んでいる。2/3くらいは読んだかな。全部読んでからnoteを書いても良いんだけれど、こういうのは思い立った時に書いておかないと結局何も書かないことになりがちだから、今の時点での感想を書いておく。

Twitterにも書いたけれど、私はもはや母を殺す側の娘ではなく、娘に殺される側の母親である。よって、殺される側の立場からこの本を読んでいる。

書き振りからも、この本はおそらく殺す側の娘たちに宛てた本だろうと思う。私もかつては娘側にいたからよく分かる。

「なぜ母娘が密着しやすいのか?」という問いに対して、筆者は以下のように書いている。

①母が夫より娘にケアを求めてしまうこと
②娘の経済的自立が困難なこと
③娘が母の人生に負い目を感じやすいこと
④娘が息子より「しっかりした子」として親と対等に育てられやすいこと

三宅香帆『娘が母を殺すには?』

詳しい記述は本を読んでほしいが、私がかつて娘であった時、母に対して問題を感じていたのは①だった。私も色々な悩みを母に話したし、同時に母からも色々な話を聞いた。
私は母に話を聞いて欲しかったが、母の話は聞きたくなかった。母にはあくまで母であって欲しくて、娘である私はフラットな立場で悩みを聞くことはできなかった。子は親に甘えても良いが、親が子に甘えるのはダメだというのが私の持論である。

とはいえ、明確に”ダメだ”と思えるようになったのは、20歳を過ぎてからだった。それまでは、娘は母の愚痴を聞くものだと信じて育ってきた。だから、”聞きたくないな”と感じると自分は冷たい娘なのかもしれないと悲しくなった。母と私の距離が最も近かった頃の話である。

私と母の関係は、①の問題を抱えてはいたものの、②〜④は該当しなかった。私は医師免許を得て経済的に自立した。私が職を得て自立することに対して母は全く反対せず、常に応援してくれた。母は大学を卒業後しばらく働いた後専業主婦になっており、ある意味自分自身のキャリアを犠牲にしたわけだが、”あなたたちきょうだいを育てる以上の仕事は私にはなかった”と彼女は言う。心の底からそう思っている印象なので、私自身に”母のキャリアを犠牲にして私は医者になった”という意識は全くない。

つまり、良いところも悪いところもある、普通の母親だった。私と彼女はかなり性格が異なる。社交的な母親と陰気な私は全く性格が合わず、一緒にいた頃は嫌なこともたくさんあった。まあ、それは向こうも同じでお互い様だろう。幼少期、同年代の友達となんとかして遊ばせようと公園に連れ出そうとした母に猛烈に抵抗し、家のドアの前で30分以上泣くような子どもだったらしいので、母も相当苦労しただろうなと思う。

残りの1/3で”母殺し”の方法が語られるのだろうか。私が”母殺し”をしたという実感を得たのは、萩尾望都の『イグアナの娘』を読んだ時だった。この漫画については、『娘が母を殺すには?』でも語られている。娘の母殺しについて語るには避けて通れない作品だと思う。母に対して蟠りを抱えているのは自分だけではないと知った時、不思議と母を許すことができた。

職を得て実家を出て、最寄駅から電車に乗った時のことを今でも覚えている。やっとあの家から離れられる、せいせいした!!という気持ちが胸を占めていたのに、同時に猛烈な寂しさがあり涙が出た。『娘が母を殺すには?』でも語られていたが、息子の父殺しよりも、娘の母殺しの方が難しい。どうしてなのだろう。超えるべき存在よりも、自己犠牲と愛で包んでくる存在の方が、ばっさりと斬り難いということなのだろうか。

Big Love…