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この国で女の子として生まれるということ

血の気を失った、真っ白な顔をした女の子が診察室を訪れたのは約1年ほど前の冬のことだった。鞄につけられたバスケットボールのマスコットがぷらぷら揺れていて、すらっと背の高い体型とあいまって、あ、この子はバスケットボール部に所属しているんだろうなと思った。真っ黒な髪を一つ結びにした、水色のシャツの似合う、まだ10代の女の子だった。

その日私はバイト先の病院で働いていて、女の子から連絡を貰った時、院内に産婦人科医がいるかどうか確認したことを覚えている。避妊に失敗してしまったので、緊急避妊ピルが欲しい。電話口で女の子はそう言っていた。親御さんと一緒に受診できる?と私が訊くと、電話口の向こうが静まり返り、しばらくして、無理だと思います、という返答があった。絞り出すような声だった。

女の子はたった一人で診察室に現れた。受診する原因になった相手の彼氏も、両親も伴うことなくたった一人で。性的な暴行を受けて受診することになったのではないかと不安になったが、相手は交際している彼氏だと言う。彼氏と一緒に写った写真も見せてもらった。避妊に失敗した事情についてはそれ以上は尋ねなかった。

緊急避妊ピルを処方する決意はその時点で固まっていた。しかし、女の子の年齢を考慮すると、両親に一報を入れるべきではという懸念がどうしても拭いきれなかった。副作用が出る可能性もあるし、両親に連絡を入れさせて欲しいと言うと、診察室に入ってから一度も視線の合うことのなかった女の子は俯いたまま強く首を横に振った。

どうしても嫌?と何度も訊いたが、女の子の意思が変わることはなかった。絶対に連絡はしたくない。お父さんに死ぬほど叱られる。血の気の引いた顔で、女の子はそう答えた。膝丈のスカートの上で、拳が白くなるほど両手が強く握り締められていた。30分ほど押し問答を繰り返し、絶対に勝手に両親に連絡したりはしないからと約束をして、一旦診察室の外に出てもらった。

女の子が診察室の外に出ると、私は頭を抱えた。どうしろって言うんだ。そもそも私は緊急用避妊ピルを処方したことがなかった。処方する相手として何となく想定していたのは20代や30代の女性だった。まさか10代の女の子が、誰も伴わず悲壮感たっぷりの顔で私のところに来るとは思ってもみなかったのだ。初めての処方としてはあまりにもハードルが高すぎる。

でも、と私は思う。女の子として生まれたせいで妊娠するリスクを背負って、わざわざこの病院を探して受診してくれて、どんなに怖くて不安だっただろう。待合室で診察を待つ間、ひとりでどんなに心細かっただろう。妊娠するような行為をしたことで、どうして父親に叱られることを恐れなくちゃならないんだろう。たくさんの感情が一気に襲いかかってくる。医師として仕事をしているとたまにこういうことがある。死や性について、お前は一体どんな答えを出すんだと問いを突きつけられる瞬間が。

逃げることは許されない、この診察室で私は答えを出さねばならない。

この国ではやたらと緊急避妊ピルの処方のハードルが高いと言うことは私も既に知っていた。欧米ではもっと気軽に手に入れることができるらしい。私は産婦人科医ではないが、処方する権利がある。処方という行為自体に特に支障はない。ただ、両親に連絡せずに処方して良いのか、その一点だけを決める必要があった。

もう一度女の子を診察室に呼び入れた。女の子は逃げずに待っていてくれた。期待と不安の入り混じった目で、じっと黙りこくって私の答えを待っている。私が両親に連絡を入れれば、恐らく彼女が人生で忘れることができないほど大きな傷を負う日になる。両親に連絡させてくれないのなら処方しないと言えば、彼女は処方を受けることを諦めて帰宅するだろう。電子カルテで確認した彼女の自宅はずいぶん遠くて、何本も電車を乗り継いで病院を訪れたことは既に知っていた。行きと同じ電車に乗って、彼女は家に帰ってしまう。失望感と、腹にいるかもしれない赤子に対する恐怖を抱えて。

私にも娘がいる。2歳の娘である。彼女が熱を出したり、ちょっとした怪我をしたりするたびに、親である私はいちいち保育園から呼び出しを受ける。彼女が人生において抱える問題は、今のところ、全て私も抱える問題となる。2歳の娘ひとりで抱えさせておけない。抱えさせてあげられない。でも、いつの日か彼女も、目の前にいる女の子と同じように、自分の人生を大きく揺さぶるような大問題を誰かと一緒に解決しなければならないのだ。絶対にそういう日はくる。私の預かり知らぬところで。

結局私がどうすることにしたのかについてはここには記載しないことにする。処方はしたが、両親に連絡したかどうかについてはここには明記しない。ただ、私がどう行動するかで、今後の彼女の社会に対する信頼が揺らぐか否かが決まるのだということは分かっていた。ひとりぼっちで傷つき、助けを求めてきた女の子に応えられる社会であって欲しいと私は願った。あの日、彼女にとっての社会は私だった。

最後に、最近読んだ本から引用する。

”ひとを信じることができると思えるのは、信じるに足ると思える人たちと出会うからです。”
『往復書簡 限界から始まる』上野千鶴子、鈴木涼美 著 より引用


どうか、あの日出逢った彼女にとって信頼に足る社会でありますように。



※文中のエピソードは多くのフィクションを交えて書かれています。

Big Love…