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ここに私がいるのは

どうもこんばんは〜、火曜日の更新だよ。

先日、Twitterにこんな感じのツイートが流れてきた。

”女医は当直やオンコールで深夜に叩き起こされ、他人様の命を預かってフルパワーで働くことに慣れているから、育休中のリスキリングも苦にならない。でも、これは女医が精神的にも肉体的にもマッチョなだけであって、一般化はできない”

元ツイートを批判する意図は全くないので直接の引用はしない。このツイートについて、自分なりに考えたことを今日は書いていく。

実際、私も妊娠中に似たようなことを考えていた。

”いくら育児が大変って言っても、所詮は赤ちゃんが一人いるだけなんだからなんとかなるでしょ。当直中は数台の救急車を並行して受けて、その上病棟からのコールにも応えてたんだもの。昼夜問わず呼び出され続けることにも慣れてるし、私なら育児くらい余裕余裕♩”

皆さんお分かりの通り、これは全くの間違いである。”所詮は赤ちゃんが一人いるだけなんだから”の部分に大きな罠が潜んでいる。

一人目を産んだ直後の親は、基本的に孤独である。寝ても覚めても赤ちゃんの相手、意識が一人の赤ちゃんから逸れる暇がない。

病棟業務が一番大変だった頃、”こんなに複数の重症患者を抱えて、私は一体どうすればいいんだ!”と心の中で密かに叫んだこともある。もう受け持ち人数がとっくに限界なのに、”悪いけど入院一人追加になるからよろしく♩”と上司に言われて”もう無理ですって!!”と心の中で泣き言を言ったことも記憶に新しい。

複数の対象に気を配って精神を擦り減らしていたあの頃、たった一人にかかりっきりになるのがこんなにしんどいとは思わなかった。夫はかなり育児に協力的だったのだが、協力的であるが故に夫もまたチームの一員になってしまっており、家の中のムードは常に赤ちゃん中心で、全く逃げ場がなかった。

夫を批判するつもりはない、と念の為申し添えておく。その頃の夫は大学院生で、(病棟勤務をしている医者と比べれば)比較的自由に休みを取りやすい身分だった。産後3ヶ月くらいは家にいてくれたらしい。

らしい、と書いたのは私が産後鬱状態になっており、赤ちゃんの面倒をみる時以外はベッドに横になってシクシク泣いていたからだ。その頃の記憶は途切れ途切れで、まともなものが残っていない。夫に深く感謝すべきなのに、その頃の記憶はほぼ無いのだった。

産後の体調と精神状態は予測がつかない。女医は基本的に気が強い人が多い。気の弱い女医って、10年の医者生活で一人も見たことがない。件のツイートの通り、私も精神的にマッチョな部類に入るんだろう。

だからこそ、出産後の入院中にあと一歩で精神科に紹介になるところまで精神状態が悪化するなんて思いもしなかった。

出産中に3L程度出血し、産後のヘモグロビン値が輸血が必要なレベルまで落ち込んでいたので、主治医が”あと1日入院を念の為延ばそう”と思いついたのが、出産後7日目のことだった。本当だったら退院のはずだった日だ。

私はその日に家に帰れることだけを精神の支えにしてつらい入院生活に耐えていたので、担当の看護師さんから”あと1日入院が延びることになりました”と言われた瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れてしまった。

気づくと言っていた。”もう1日入院が延びるんですか。分かりました。それなら直接、主治医と話をさせてください”と。

産後、お乳の出が悪く、夜中もずっと赤ちゃんの泣き声に悩まされ、自分自身の体調も万全からは程遠いのに出産日から母子同室を強要されて、私の精神は完全に限界を迎えていた。もしかすると目も据わっていたかもしれない。とにかく一刻も早く夫の待つ家に帰りたかった。

担当の看護師さんが主治医に私の様子を伝えてくれたからなのか、目の据わった女医(私)と入院を延長する/しないの議論をするのが嫌だったからなのか、いずれにせよ私が反抗したことで延長の話は立ち消えになり、主治医と会うこともなくすんなりキャンセルになった。

こんな簡単にキャンセルするなら初めから適当な提案なんかすんなよ!と内心思ったが、家に帰れるならもうなんでも良かった。家に帰れると分かった途端に精神状態がかなりマシになり、精神科紹介の話はなくなった。

ただ、上にも書いた通り、帰宅後も精神状態はしばらく不安定なままだった。夫が家にいてくれたのに、その貴重な記憶も本当に全て失われている。あの頃、夫が家にいてくれた情景が、ムービーみたいにもう一度再生できれば良いのにと思う。そうしたら、きっともっと夫に対する感謝や愛情が深まるだろう。

でも、私が何も覚えていないことこそが、夫があの頃の私に尽くしてくれた何よりの証拠なのかもしれない、とも思う。もし夫が家に私を一人放っておいて、仕事に出ていたらと想像するだけでゾッとする。怨みで精神が塗り潰されて、2度と夫を人として見られなかったかもしれない。

子どもが大きくなってから、気づいたこともある。子どもと一言で言っても、その性質は様々だ。病院など慣れない場所に連れてこられると落ち着かなくて泣き叫んでしまう子。集団生活が苦手で、毎日幼稚園の前でひっくり返って泣いて、親を困らせてしまう子。

ぱっと見、ごく普通のかわいい子たちだ。何の問題もないように見える。それでも、母親(あえてこう書く。へとへとになっているのは母親であることが多いから)は疲弊し切っている。自分が子どもに関して困り事を抱えていることすら気付けず、子どもは訳も分からずわんわん泣いて…みたいな悪循環に陥っていることも多い。

私の子どもは(今のところ)社交的で、お友だちも先生も大好き!というタイプだ。これはものすごくラッキーなことだ。子どもがそうだから、私は働くことができている。
私は土曜日も出勤しているのだが、その時間は祖父か祖母が子どもの相手をしてくれている。子どもは特に母親である私にこだわることもなく、むしろ甘やかしてくれる祖父母と過ごせて嬉しそうだ。

溢れるほどの幸運を当たり前みたいな顔で踏みしめて、その上に働く母親としての私が立っている。精神的にマッチョでも、産後嵐のように襲いかかる鬱と睡眠不足、それから体調不良には全く勝てなかった。

ふにゃふにゃの赤子を胸に抱きながら、"この先私はずっと家にいて、子どもの面倒をみる生活を続けるんだ…"と密かに決意していたこともある。そんな私を無理矢理にでも産後3ヶ月で仕事に出したのは他でもない夫だった。君は仕事をした方がいい、とはっきり言われた。私はチャンスを貰い続けてここにいる。

子どもを産んで、その命と一対一で向き合い続けることは、あまりにも精神的負荷が大きすぎる。自分が、"もう働かず家にいよう“と思うなんて想像もしなかった。朝から夕まで幼稚園に子どもを預け、20代の頃ほどではないにせよそれなりに働き、育児より仕事のほうがやっぱり面白いなあと内心思っている今の私は側から見れば精神的にマッチョなのかもしれないが、それは私が女医であるからというより、ただ周囲がチャンスをくれた、それだけのことなのだと思う。

Big Love…