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ひとつの顔で暮らせたら

「お休みを頂いて、申し訳ありませんでした」

謝っていたのは、顔なじみのナースだった。パソコンに向かってカルテを書いていた時のことだったので顔を確認することはできなかったが、発言の主は声で知れた。そもそも、彼女が妊娠していたことすら私は知らなかった。そして、それが既に終わってしまったことも。

昼休憩前のナースステーションは人影もまばらで、指示簿や紹介状が載せられたデスクの周りには数人のナースたちがいるだけだった。妊娠していたけれど、2ヶ月で流産してしまった。心身共に不調に陥った彼女は、仕事をしばらく休んだ。そして今、普段通り仕事の引き継ぎでもするかのように、同僚達に自分の身に何が起きたかを話している。

似たような光景を見たことがある。

上司の娘が熱を出した時のことである。発熱が判明したのは朝の早い時間帯のことで、上司は、面倒をみてくれる祖父母の家まで娘を送り届けねばならなかった。

まいったね、と彼は言った。奥さんもその日は仕事で、しかも重要な会議が入っていたからどうしても娘を送り届けることは出来なかった。それで、父親である上司が車を出すことになった。上司が職場に到着したのは午前10時頃のことで、幸い外来担当の曜日でもなく、上司は病棟で患者を直接担当せずとも済む程度には年長の医者だったので、特に業務に支障が出ることはなかった。

「ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。まったく、こういう日に限って奥さんは仕事が忙しいんだから、参るね」

ここ数ヶ月で、日本人の働き方は様変わりした。満員電車に乗って職場に出向くことが絶対正義だったのに、今やニュースでリモートワークの文字を見ぬ日はない。Zoom等の様々な通信手段を利用することで、自宅は今や新たなオフィスと化した。それはつまり、仕事とプライベートの境目が曖昧になるということでもある。

家庭の事情で仕事に穴をあけてしまった時、謝らねばならないのは何故なのだろう。同僚に迷惑をかけたから、というのは一理あるかもしれない。しかし、実際にかけた迷惑が大したことでなくとも、私の上司がそうしたように、私たちはひとまず謝っておくという習慣を持っている。

それは、家庭の事情を仕事に持ち込むことが、不適切だと感じているからではないか。

男は外に働きに出て、女は家で育児や家事をする。おそらく私の母親世代までは、それがごくありふれた家庭の姿であった。父親は朝早く出勤し、夜遅く家に帰る。出勤するとき眠りの中にいたこどもたちは、父親が帰ってくる頃には再びぐっすり眠っている。妻が温めてくれた夕食を食べながら、昼間のこどもたちの様子を伝え聞く。父親と直接顔を合わせることが少ないまま、こどもたちは大きくなっていく。こどもが熱を出しても、外で働く父親たちにとっては関係のないことだった。妻やこどものために働き、家庭を維持するためにお金を稼いでくるのが父親の役割だった。

しかし、時代は変わってしまった。父親ひとりの給料で家庭を支えるのは難しくなり、女性も働くのが当たり前の時代が来た。どんな職場にも、徐々に女性の数は増えていった。私が働く医療現場も同じで、医師を志す医学生も女性の割合が増加傾向にある。

家庭における男女の役割分担は崩壊した。男は仕事に、女は家事育児に、性別を以って単純に振り分けるのは最早不可能である。この傾向に、ここ数ヶ月のリモートワーク化が拍車をかけるかもしれない。仕事と家庭の境界線は、今や曖昧になりつつある。仕事に家庭の事情を持ち込むことが悪とされていたのは、性別による役割分担がはっきりしていた時代の遺物になるのではないか。

男性よりも女性の方が、仕事に家庭の事情を持ち込みやすい傾向にある。それは生まれつきどうすることも出来ない、産む性であることが原因であるし、育児にまつわる色々を担うことが多い性だからである。

家庭の事情を持ち込みやすいが故に、近年、医学部入試における女性差別が問題になったりしている。家庭の事情を持ち込みがちな人間は医師としては半人前で、一人前の医師たちの迷惑になるから初めから切り捨てておく。男性の占める割合が圧倒的に多く、また、男性たちは家庭の事情など一切考慮せず自由に働ける時代においては無批判に受け入れられる理屈だったのだと思う。

時代は変わりつつある。流産してしまったことを同僚たちの前で話す、顔なじみのナースの声を背中で聞きながら、こんなことで謝らなくて済む日が来れば良いのにと思う。彼女が不妊治療をしていたことを私は薄っすらと知っていて、流産の確率が下がる安定期に入るまで何も言わずにいたことは想像に難くなかった。本当はどんな気持ちで申し訳ないと彼女が謝っているのか、きっと仕事用の顔で淡々と喋っているのであろう彼女の表情を想像すると、目の奥がじわりと熱くなった。

Big Love…