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子どもはいつも公式の場にいる

3連休が終わったので最強。こんばんは、火曜日のnote更新です。

3連休、本当に厳しかったな…前回のnoteの最後の方でも同じような話をした気がするけれど、育児と仕事しかない3連休、ただただ苦痛だった。子どもはだいぶ手がかからなくなってきたとはいえ、まだ電車を乗り継いで一緒に出かけられるほど大きくなったわけではないので、遊び場がどうしても限られてしまう。

これは完全に私が悪くて、私は大学生の時に自動車免許を取ってるんですが、一度も運転をしたことがないんですね。いわゆるペーパードライバー。もちろん免許はゴールドです。

理由は月並みですが、人を轢き殺しそうで怖すぎるから…。あと、石橋を叩いて渡るタイプなので、リズムに乗って車線の合流をしたりすることができない。永遠にタイミングを図って後続車にクラクション鳴らされるタイプだと思う。運転したことないからわかんないけど。

話を元に戻す。そんなわけで、車を運転してどこかに出かけるのは無理。なら電車があるじゃない、という話なんだけれど、正直幼児を連れて電車に乗るのが結構怖いんですよね…。因縁つけられたりしたときに、幼児を庇いながら戦える気がしない。子どもといる時って気持ちがまろやかめの母親モードに入っているからか、いつもより戦闘力が落ちるんですよね。嫌な思いをしたくないから、子どもを連れてなるべく電車に乗りたくない。

だから結局、連休になると近所の公園とショッピングモールを回遊する羽目になる。私がもっとメンタル的にもフィジカル的にも強ければ色々な場所に連れて行ってあげられるのになあとは思う。でも、公園とショッピングモールで3歳児は十分楽しそうだからまあいいか…。夫が休みの時は電車に乗ったりして遠出もできるし、今のところは私が1人で面倒を見ている日は近所で過ごすパターンが続きそうです。

それにしても、3歳児はまだまだ自分の機嫌を自分でとることができないから可哀想だ。大人になっても自分の機嫌をとるのが下手くそな人はいるけど、子どもは本当に大人からの愛情がないと回復ができなくて可哀想。やけ食いも散財も趣味やスポーツにテレビ鑑賞も、全て親の許可や助けがないと何もできない。せめて親として優しくしないとなあと思う。

3連休をほぼ子どもの相手で終えてしまったので(この3連休はあまり仕事を入れなかった)、さすがに精神が荒野のごとくカサついてしまい、今日は退勤後に買い物に行ってきた。

買い物と言ったが、特に何を買うでもなくデパートをぶらぶらするだけでも楽しい。私は百貨店によくいる、品の良くて優しい高齢女性が大好き。行きつけの店で買い物をして、荷物を店員さんに詰めてもらって、少しだけ談笑を楽しんでから細くて小さな声で”ありがとうね”とお礼を行って帰っていくような、そういう品の良いおばあちゃんを見ると心が和む。余裕のある人間特有の品の良さをこっそり影から鑑賞して楽しんでいる。

最近読んだ本に、仕事よりも消費の方が自分の世界を広げるのだというようなことが書いてあった。
病気やその他様々な事情から社会でうまくやっていけなくなった時、社会復帰の第一歩として一般的にまずは働くことを勧められがちだ。遊びに行くならまずは働いてからだよね、という認識が(それが良いかどうかは別として)誰の心にもあると思う。

でも実は、仕事よりもよほど、趣味をやったり好きなものを買いに行ったりする方が自分の世界を広げてくれるし、人生を豊かにしてくれる。確かに、仕事ってある程度決まった人間関係の中でやっていくものだし、誰しも仕事用の顔を持っていて、職場に着くとその顔にモードを切り替えて仕事が始まる。そこにはあまり広がりはない。

忙しくなると体を休めるのに精一杯になって、どうしても新しいことに手を出す元気がなくなり、さらに自分の世界が狭まって人生がつまらなく思えてくる。そういう時ほど思い切って買い物にでも出かけるべきなんだろうなあ。

今日も実際、ふらりと入った百貨店で以前から気になっていたアクセサリーショップを見つけ、店員のお姉さんとの相性が良かったのでそのままアクセサリーを購入してしまった。ネットでの買い物は気楽で良いんだけど、純粋に商品と向き合って物を購入するだけで、その買い物自体は体験にはならない。

店で物を購入するとき、必ずしも物の良さだけで買い物をしていないなと思う。店の雰囲気とか、店員さんのキャラクターとか、そういう”物自体”と全く関係のない要素に大きく影響を受けて、その日に買うものを決めている。
あんまり店員さんに接待っぽい心地よいトークを望むのは不適切なんだろうけど、それでも顔を合わせた瞬間にわかる魂の相性の良さ、みたいなものはあると思う。自分もサービスを提供する側になると分かる。

大人になると、こうやって様々な場所で自分の機嫌を取ることができる。家や仕事場の外に出て、自分の望む場所に行って、思わぬ出会いや会話で元気になったりする。消費は全て非公式な場だなと思う。偶然に身を任せ、その場限りの会話と出会いで自分の世界を広げていく。仕事や学校は公式な場である。子どもが属しているのは基本的に公式な場だけで、なかなか親の手を離れて偶然に身を任せることはできない。だからこそ、我が身を思い返してみても、子ども時代に戻りたいとは全く思えないんだよな。無事に大人になれて、本当に良かったなと思う。

Big Love…