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発熱外来ふたたび

3連休が終わった。都内でもCOVID-19感染が爆発しており、ほんの1週間くらい前とは全く状況が変わってしまった。

勤務先の病院は土曜日も発熱外来を開けているので、朝から凄まじい人数の患者さんたちが外来に押し寄せ、問い合わせの多さに電話回線がパンクした。
発熱外来と並行して、COVID-19とは関係のない症状を診る一般外来も開けているのだが、発熱外来の長い待ち時間に痺れを切らした患者が一般外来にやってくるなど、現場はあっという間に混乱した状況になった。

来院した患者を発熱外来で診察するかどうかは(つまりPCR等の検査を行うかどうかは)まずは看護師が、最終的には医師が判断を下す。病院によってやり方は異なるだろうが、まずは大雑把に体温測定で37.5度以上は発熱外来、それ以下であれば一般外来というふうに振り分けていく。
発熱がなくても、濃厚接触者と判断された場合、症状に応じて検査が必要になる。測定が可能な体温とは違い、近くに陽性者がいるかどうかは自己申告となる。

発熱外来はその性質上、どうしても回転が遅くなる。ガウンの着脱や個室への隔離、部屋の消毒などの動作が発生するため、一般外来よりも効率は明らかに悪い。切迫した状況になると、一般外来にも発熱している患者さんや、濃厚接触者が混ざり始める。一般外来の診察室でよくよく話を聞いてみると、朝は熱があったが解熱剤を飲んで平熱になりました、実は家族に陽性者がいます、などなど。申告のタイミングは人それぞれである。

第七波が到来する前、つまり今日からほんの1週間程度遡った頃も、同じようなことは起きていた。一般外来で医師が検査が必要と判断し、発熱外来へ隔離、結局陽性が判明するようなケースは決して稀ではない。ただ、流行が爆発的になるとその数が段違いになる。

そもそも濃厚接触者かどうかは自己申告だし、解熱剤を飲んで平熱になってから受診し、診察室で実は自宅では熱があったと申告することも(それが倫理的かどうかは別として)可能なわけで、医療現場は現状、患者さんの良心頼りの仕組みである。平素はあまりそういうことを考える必要はないのだが、切迫した状況ではどうしても病院側が作った仕組みを掻い潜って受診するケースが増えてくる。医療現場は倫理を問う場所ではないので、淡々とやるしかない。

発熱外来は患者にとっても、あまり愉快な場所ではない。陽性が出ると家庭や仕事に大きく影響が出る。陽性を告げると、覚悟していた患者さんですらがっくりと肩を落とす。何の気無しに一般外来を受診し、医師が検査が必要と判断して陽性が出たケースは尚更で、つい先日も深くショックを受けて黙り込んでしまった患者さんを励ますべく、隔離室で時間をかけて話さざるを得なかった。

受診して陽性が出ても気分が明るくなることはないし、受診をお断りしても怒って帰られることも多く、とにかく感染が爆発的に増えると発熱外来は混乱しストレスが強い状況になる。

第六波と全く同じことが現場では起きている。正直、またか、またこれをやるのかという気持ちである。

3連休中の外来をなんとかこなして帰宅すると、京都の祇園祭の様子がニュースで流れていた。3年ぶりの開催ということで、沿道には14万人が押しかけたそうだ。同じ世界の出来事だとはとても思えないのだが、しかし、3年も我慢したんだ、楽しみたくなっても当然だよなとも思う。

感染の流行が長引きすぎて、気持ちが燃え尽きつつあるのかもしれない。一体いつまでこんなことが続くのだろうと思うが、ほんの数年前、高齢者や持病のある方の重症化が相次ぎ、救命すらままならなかったことを思い出すと、その頃よりはずっとマシだなとは思う。

Big Love…