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まだ子どもがいなかった頃のこと

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この質問をいただいて、初めに思い出したのが医局を辞めた時のことだった。Twitterなどで明記したことはないのだが、私は数年前に医局を辞めている。そのきっかけとなったのが、妊娠・育児よりもずっと手前の、産むか産まないかという問いであった。今回のnoteではその頃のことを書く。

卒後5年目の頃に転機は訪れた。大学院に進学し、医局員として定年まで働き続けるつもりだったのだが、長時間労働に対する大学の姿勢に疑問を抱き、また、学生時代から慕っていた上司たちの医局に対する異常なまでの忠誠心の高さに共感を示せなくなってしまい、医局からいなくなることを検討し始めた。幸い、医局からいなくなっても医師としての仕事はたくさんあった。私は当時住んでいた地域で就職先を見つけ、週5回の9時5時で働くようになった。

当時30歳を目前に控え、こどもについて考えるべき時期でもあった。夫はこども好きだがこどものいない人生でも良いよねという感じで、両親からのこどもを持てというプレッシャーも全くなく、つまりこどものいる人生とすべきか否かは完全に私の意思に任されていた。

自分のペースを守って生活したい私のような人間にとって、傍若無人な子どもという存在は恐怖である。なので、子どもは持たない。完。そうしても良かったのだが、子どもを持つか否かについては何年もかけて随分迷った。


幼少期から、同性に対する共感が薄かった。小学校1年生から女子校に通い、12年間も女子校に籍を置いていたのに、いまだに女性というものがちっとも分からない。私は口下手で手先も不器用、愛嬌もないという所謂”女子力(死語だと思いたい)”皆無の人間なので、この社会で生きていくためになんらかの強いアピールポイントを必要としていた。結果として一番安易な学力を武器として選び、同世代の受験生たちを蹴落として医学部に入った。これは社会に自分の居場所を作る方法として、どちらかといえば男性的なやり方だったと思う。そうして入った医学部は当時は(今もかもしれないが)24時間365日働くことを求められる男社会であり、大学入学以降も女性に対する共感力は全く高まることがなく、フェミニズムの思想にも無縁の人生を送ることとなった。

医師になってから数年は仕事に没頭し、読書も碌にしなければ文章も書かない文化的に荒廃した日々を送っていたのだが、医局に対する不信感が高まるにつれて、再び文学に親しむようになった。ちょうど医学部入試の女性差別問題が吹き上がった頃でもあり、社会に出る方法として入試で勝つこと以外の方法がなかった私のような人間にとっては非常に衝撃的だった。

この頃からフェミニズムに関心を持ち、関連書籍を多く読むようになった。入試という勝負の場だけは平等だと信じてきたのに、性別を理由に私も不合格を言い渡されていたかもしれないという事実は受け入れ難いことだった。フェミニズムに親しむにつれて、妊娠と出産、育児がいかに女性たちから自由を奪ってきたかについても知った。自由を失うくらいなら産まないという決断をした女性たちの書いたものもたくさん読んだ。

医局から離れて、明らかに仕事は楽になった。行き場のない体力があり余り、にも関わらず精神的には宙ぶらりんの日々が続いた。子どものいる人生を視野に入れて医局から離れたが、時が経つにつれて自分の選択が正しかったのか全く分からなくなった。

妊娠や出産で他のスタッフたちに迷惑をかけることが、私にはどうしても出来なかった。医局で医師として働くならば24時間365日完全な状態でありたいという願望があり、誰かに寄りかかって弱みを見せてまで医師として最前線で働く根性がなかった。このまま子どもがいない人生とするならば、医局に戻るべきだろうか?でも、長時間労働に対する医局の姿勢にはとても賛同はできないし…。今思い返しても、結論の出ない問いに悶々と悩み続けた時期だった。

その後、私は婦人科専門のクリニックに通院することになる。健診で婦人科疾患が複数個見つかってしまい、男性ホルモンが女性としては異常に高いことや、子宮や卵巣に構造的な異常があることが分かったからだ。医局から離れ、子どものいる人生を検討し始めてから既に1年以上が経過しており、これらの疾患が見つかった時は妙な安堵すら感じた。肉体的な欠損で子どもが出来づらいなら仕方がない。病気も見つかってしまったことだし、子どもがいなくてもまあいいかと思い始めた矢先に妊娠が判明した。その後のことは今までnoteに度々書いてきた通りなので多くは語らない。


子どものいる人生とすべきか否か迷っていた頃、既に育児の世界に入った女性たちの書いたものを読むたびに、育児は女性をこんなにもがんじがらめにするのかと何度も失望した。子どものいなかった頃の私に希望を与えてくれるような本は一冊もなく、しかし、そのことが却って私を奮起させた。

子どものいる人生を選択しても、可能な限り自由に振る舞っているところを見せたい。子どもを産んだらそれで女性の自由はおしまいだなんて、そんなふざけた話があってたまるもんか。産む前の私はそんなふうに憤り、そして母になった今も、あの頃と同じ熱量で憤り続けている。

育児が生み出す、強烈な不自由の磁場から何とかして逃れたい。子どもを産む前よりも読む本の量は増え、どんなに忙しくとも書き続ける習慣をつけると決意し、公の場で書いたものを発表する機会にも恵まれた。これを読むあなたがこれから育児をしようと考えている人であってもそうでなくても、私が書いたものの中に自由の気配を感じ取ってくれたのなら嬉しい。それは不自由さの中で、なんとかもがいて掴み取ったものだからだ。育児は女性の全てを奪ったりなんかしないということは、育児の荒波に揉まれてでも、私が人生を掛けて示す価値があると信じたただ一つのことである。

Big Love…