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不在に寄せて

谷川俊太郎が亡くなった。

谷川俊太郎が亡くなった、ということに対して全く納得ができない。なんとなく、彼は永遠に生きるような気がしていたから。

出会いはどこからだったろうか。スイミー?いや、おそらくシュルツのスヌーピー全集が私と谷川俊太郎の出会いだった。

母親がシュルツの大ファンで、全集が実家の書棚にあった。なんせ、漫画なので子どもにとっては親しみやすかった。現在実家にいないから詳細は分からないが、イラストもカラーのものが多くて綺麗だった。ライナスやペパーミント・パティと一緒に私は大きくなった。

小学生の私にとっては谷川俊太郎は”教科書に詩が載っている人”だった。カムチャッカの若者がきりんの夢を見る『朝のリレー』、気持ちが淀み渦巻きせめぎあい、溢れ出す『春に』。
しかし小学生の私にとって、詩という形式はややむず痒く、気恥ずかしかった。誰にでもわかるような明快な文章で書かれた物語のほうが好きで、詩にはあまり興味がなかった。

中学生になって、合唱をやるようになった。

”ネリリしキルルしハララしているか?”というフレーズが印象的な『二十億光年の孤独』。何度歌ったか分からない。

合唱をやるようになって、『春に』に再び出会うことになる。優しく滑らかなメロディーに乗せて歌うと、詩は不思議と親しみやすく感じた。

声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう

『春に』より引用

歌の指導を受けながら何度も繰り返し同じフレーズを歌っていると、自分の中にある言葉未満の気持ちが歌詞に乗って歌になる瞬間がある。全ての歌に、その力があるわけではない。20年以上の時が経って、いまだに伴奏が流れれば歌い出せるくらい強く心に残っているのは谷川俊太郎が作詞した曲ばかりである。

現在5歳の子どもと暮らしている。本棚には『スイミー』も、『生きる』も、『もこもこもこ』も、『よるのようちえん』もある。

物語性のない、言葉遊びだけで構成されたような『よるのようちえん』は特に子どものお気に入りで、3歳くらいから何度も何度も読んだ。

『よるのようちえん』とは対照的に、生きる意味についての問いが溢れる『生きる』もなぜか子どもウケが良かった。

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

『生きる』より引用

あまりに難解で、未就学児に読むのは早くないか?と思いつつ本棚に入れておいた本だった。しかし子どもは勝手に取り出し、読み聞かせを何度もせがまれた。『生きる』に込められた意味は深く難しいが、絵を眺めれば単に夏の1日を切り取った物語としても読むことができる。

『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』のみくのしんさんも、オモコロの記事で『生きる』を手に取っていた。

これすげえよ。この絵で、生きる。

『巨大書店で戦え!本屋ダンジョン・バトル』より引用

本当になあ。未就学児でも興味を惹かれるような絵に、谷川俊太郎の文章が自然に寄り添っている。私はどちらかというと『生きる』という絵本には強い感情はないのだけれど、子どもが初めて強い興味を示した難解な本として『生きる』は記憶に刻まれることになった。

教科書に載ったかと思えば、若者向けコンテンツの作詞もする。最近の谷川俊太郎関連のニュースではヒプマイの作詞が一番印象的だった。そんなふうにさまざまな形で、谷川俊太郎はあまりにも私たちの生活の中に溶け込んでいて、それゆえ永遠に生きるような気がしていた。だから、今朝の訃報を目にした瞬間、アッと声が出た。初めて谷川俊太郎を私たちと同じ人間だと思った。そして猛烈に悲しくなった。

谷川俊太郎の第一詩集である『二十億光年の孤独』には三好達治がこんな言葉を寄せている。

ああこの若者は/冬のさなかに永らく待たれたものとして/突忽とはるかな国からやつてきた

谷川俊太郎は遙かな国からやってきて、またそこへと帰ってしまった。今朝のXのタイムラインでも、さまざまな人々が谷川俊太郎の言葉を引用し、それぞれに彼を悼んだ。

死は突然にやってくる
何の説明もなく

その死の上に秋の陽は輝きわたる
やはり何の説明もなく

『谷川俊太郎詩選集』掲載 『死』より引用

私たちの生きるこの世界で生にも死にも何の説明もないが、しかし私たちには言葉がある。さようなら、そしていつまでもありがとう。あなたがたくさん言葉を残してくれたおかげで、まだ私はあなたに出会うことができます。

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紺
Big Love…