子どもを愛していると断言できなくとも
年度末じゃん。最近リビングの床で寝ることが増えた。疲れすぎている。
今日も質問に答えます。
リスクを負ってまで子どもを持とうと思ったのは、”親になった自分のツラを拝んでみたい”という極めて自分本位な理由からです。
私という人間はどう考えても親をやるのに向いていません。そもそも子どもという生き物全般があまり好きじゃないし、静かに自分のペースで生活するのが向いているし、子どもと一緒に楽しくはしゃぐのも下手くそだから。
それでも親になろうと決めたのは、こんなにも親に向いていない私が親になったら、必ずや新しい扉が開くに違いないと思ったからです。
仕事もそこそこ(自分の中では)軌道に乗り、一生を共にしても良いと思える相手と二人で暮らしていて、30歳くらいの私は人生にかなり満足していました。そのまま穏やかに天寿を全うしても良かったんですが、”85歳まで生きると仮定すれば、人生まだ前半なのか…”という気持ちが繰り返し頭をよぎりました。
隠居するにはまだ早い。1回くらいなら博打も打てるだろう。苦手ではあるけれど、激しく興味を惹かれてはいた、育児に今なら手を出せるんじゃないかと、そう思ったわけです。
子どもを産んで良かったか、という質問に対しては迷いなくイエスと答えます。だって、子どもと暮らさない限り、親になった自分のツラを拝むことはできなかったから。
上に書いた通り、私は子どもという生き物全般が得意ではありません。子どもと暮らさなければ、幼稚園や公園、習い事の教室に近寄ることは決してなかったでしょう。だって、子どもがたくさんいる場所なんて、もうそれだけで嫌だから。
公園などで子どもに囲まれながらいっぱしの母親ヅラをして、にこやかに自分の子どもに手を振ったりしていると、”一体私はこんなところで何をやっているんだ?”という気分になります。
でも、これが不思議とそう悪くない気分なんです。子どもと暮らし始めてから4年が経ちますが、本当はそんな資格もないくせにいっぱしの母親ヅラしてウケるな…と、いまだに毎日そう思ってる。多分これからもずっと、そう思うんじゃないかな。
子どもを育てる前は、母親になったら全員母性愛とかいう奴が芽生えて子ども大好きモードになるんじゃないかと思っていたけれど、そうでもないんだなと分かったのはかなり大きい収穫でした。
夫のことは愛しているとはっきり言えるけれど、子どもに対する感情は義務感の方が強いです。
夫とは対等(だと私は思っている)けれど、子どもとは明らかな力関係の不均衡があるので、こっちが圧倒的に強い状況で”愛”という言葉を使うのに抵抗があるのかもしれません。
話が逸れました。
母性愛が溢れなくても、それはある意味予想通りだったから自分を責めることは今のところありません。
子どもの周りにはたくさんの大人がいます。夫(子どもの父親)が代表的な大人ですし、祖父母も、そしてあなたのように血縁者でもないのに子どもに関わり、育てようとしてくださる人もいる。
養育は基本的に苦しいですよ。人生を奪われているなという確信もあります。でも、全部分かった上で私が始めたことなので、嫌だなとは思わないです。
子どもと遊ぶのも面倒を見るのも、基本的にめんどくさくてダルいです。それでも投げ出さないのは、”したり顔で親をやってる自分、おもしれ〜”という感情が常にあるからだと思う。子どものために育児をやってるんじゃなく、あくまで親をやっている自分が面白いから、なんとか育児が続いている。子ども自体を愛せなくても、子どもと関わる自分自身を愛せるなら大丈夫だと私は思います。
今日の回答は以上!!
年度末って毎年こんなに忙しかったっけ…?息切れしてるうちに4月になりそう。それでも質問箱に入れられたメッセージは全て読んでいます。いつもありがとう。これからもあなたの人生を私に見せてくださいね。
Big Love…