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愛について

昨年末、娘と一緒に自宅で過ごす時は必ずクリスマスソングを流していた。アレクサ、クリスマスソングを流して。アレクサが選んだのはJ -POPのクリスマスソングメドレーで、山下達郎のクリスマス・イブが必ず最初に流れた。クリスマスは恋人たちのための行事だから、アレクサが選ぶ歌も愛に関するものがとにかく多かった。

君が喜ぶプレゼントってなんだろう 僕だけがあげられるものってなんだろう

クリスマスソング/back number

”君”にプレゼントを差し出しても、愛してもらえるかどうかは分からない。でも、愛してしまったら何かをあげたいし、相手にも同じものを求めてしまう。実らない愛に関する歌ばかりのクリスマスソングメドレーを聴き、質問箱で愛に関する質問をいくつか受けるうちに、いっちょ書いてみるかという気持ちになったので今週は愛について書く。


先日、文藝という雑誌を読んだ。母の娘、という特集をやっていて、興味があったので発売日に本屋に出向いた。図々しくも他人に見返りを求めるのが愛ならば、私が母に向ける感情も愛なのかもしれないなと思う。先週のnoteでも母について書いたが、私と母は別段仲が良いわけではなく、専業主婦になったせいで夫と離婚できなかった愚痴を散々吹き込まれた思春期の思い出があまりにも重く、母に対しては複雑な感情を抱いている。一緒に暮らしていた頃、好きだと思うことよりも嫌いだと思うことの方が多かった。

実家を出てからは数年単位で顔を合わせない時期もあったが、孫が生まれてからは会う機会が増えた。口数が多く、何かと余計なことを言いがちな母と一緒にいると、物静かで余計なことを言わない母だったら良かったのに…という願望が今でも顔を出すので、自分の子どもっぽさに驚く。この歳になっても、まだ母のことをありのままに受け止めきれない。

母との関係があまり良くなかったが故に、私の中には娘を産むことに対する恐れと期待があった。母と同じような過ちを繰り返すのではないかという恐れ、私ならもっとうまくやれるという期待。そもそも子どもと接することが得意ではない私が、娘を愛せるのかという不安もあった。

愛せるのか?という問いに対する答えは、案外早く訪れた。親が子に向ける愛よりも、子が親に向ける愛があまりに圧倒的だったから。こちらがどんなに悪辣な人間であったとしても、子どもは親にありったけの愛情を向けてくる。愛せるか?などと煩悶している暇もなく、絶え間なく注がれる圧倒的な愛情。愛せるかではなく、応えられるかを問うべきなのだと最近はつくづく思う。


年が明けてから、クィア・アイの視聴を再開した。

https://www.netflix.com/jp/title/80160037

シーズン3を観ている最中に、血の繋がらない娘とクッキー作りに挑むステップファーザーの映像が流れた。クィア・アイはファッションや料理に精通したゲイ5人組(ファブ5)が自分の人生を変えたいと願う男女を大変身させる人気番組で、Netflixで配信されている。

ステップファーザーは事故に遭ったばかりで失職しており、人生全般に対して自信を失っている。家の中は整頓もされずめちゃくちゃ、汚い皿がシンクに積み重ねられて異臭を放っている。ファッションにも無頓着でまるで清潔感がない。娘との関係は比較的良好であるという注釈が入るものの、こんなに汚い家じゃ…というのが正直な印象だった。

ファブ5にはそれぞれの得意分野があり、料理を担当するアントニがステップファーザーと娘を洋菓子店に連れ出し、お菓子作りが好きな娘のためにクッキー作りをレクチャーするシーンがある。普段はなかなか娘のために時間を作れないステップファーザーだが、アントニが間に入ることで、娘と一緒にクッキー作りを楽しむ。娘は歓声をあげ、ステップファーザーも嬉しそうな様子を見せる。久しぶりに訪れた平和な時間。私はこのシーンを眺めていたら、涙が出てきてしまった。

子育ては喜びや幸せ以上に、苛立つことが多い。とどまるところを知らない子どもの要求。こちらが疲れていようとお構いなしにあげられる金切声。そして何より、愛に応えるべき存在にこんなにも容易に苛立ってしまう自分のしょうもなさに、一番がっかりする。

子どもにはなるべく素敵な思い出をあげたい。いつか自分の足で幸せを探しに行って欲しいから、今はできることをしてあげたい。そう思ってはいても、仕事や生活で疲れが蓄積すると、自分の悪い面が出ていることに気づく。強く叱り過ぎてしまったり、十分に遊んであげられなかったり。こうありたいという理想の親像を自分の手で壊してしまう。

誰かと一緒にいるとき、自分の良い面を見せたいと願うのが愛なんだと最近思う。素敵な思い出をあげたい、優しい親でいたい。嫌いな人相手なら、自分がどう思われたってどうでも良いけれど、愛しているからこそ自分の持つ良い面を引き出したくて努力する。

ファブ5の行動に涙が出たのは、子どものためにステップファーザーの良い面を引き出そうとしてくれたから。誰だって、愛する人と優しい時間を過ごしたい。でも、生活の色々に追われて悪い面ばかりが出てしまう、悪夢のような時期もある。金銭的な問題や精神的な問題、環境の変化で悪夢は誰のところにもいつだって忍び寄ってくる。

誰かのために自分の良い面を引き出したいと思うのも愛ならば、会ったばかりの他人のために(金銭のやり取りや番組の撮れ高という目的があったとしても)、その人の良い面を引き出そうとするのも愛だと思う。めざましい変身が見せ所のクィア・アイだが、ファブ5は必ず言う。本来のあなたはこんなに素敵、決して自信を持つことを恐れず、自己愛を大事にして欲しいと。変身そのものが肝要なのではなく、素敵で見違えるような本来のあなたはいつでもあなたの中にいる。



人間の良い面と悪い面の話をするなら、言及しなければならない作品がある。山下和美の不思議な少年という漫画である。

タイトルの通り不思議な少年が登場する短編が連なった作品で、どの短編も示唆に富んでいてハズレが一切ない。中でも私が一番好きなお話は、第四巻に収録された第十一話、”由利香”である。短い話なので、ここでその内容に詳しく触れることはしない。

この世に生きる誰もが、自分の良い面だけを引き出して人生を送りたいと願っている。しかし、他人の心ない言葉や行動で損なわれ、悪い面ばかりが顔を出し、それゆえに誰にも大切にしてもらえない悪循環に陥ることもある。

忍び寄る悪夢に抵抗できず、他人も自分も傷つけた末に悲惨な結末を迎えた由利香は、誰しもの人生のifである。その結末を自己責任の一言で片付けず、誰にも良い面がある、ただそれが引き出されていないだけだと語った山下和美先生の愛に、読むたびに涙してしまう。愛は時に長く伸びて、どこか遠くの人の心をそっと撫でることもある。そっと撫でられると、本来の優しい面が顔を出す。例え生涯会うことのない相手でも、真っ直ぐに愛を向けられれば、私たちはそれに気づくことができる。

Big Love…