私を勝手に書き換えないでくれよ
最近、(自分で定めた)締め切り直前にnoteを書き始める傾向がどんどん強まっていてまずいので、このnoteは日曜日の午前1時ごろから書き始めています。
どうもこんばんは、日曜日のnote更新です。
週末は仕事と4歳児の相手でぐったりしてしまっているから、日曜日の夜からnoteを書こうとするとどうしても”疲れている”というエピソードで書き出してしまう。
だから日曜日の午前1時からこれを書いているのだが、今週は仕事が忙しかったので現時点で既に疲れている。早めに書き始めても内容に有意差が無いことがわかりました。
箇条書きでいくか。
・仕事をしていると、たまに威圧的な態度を取ってくる人がいる。怖いのでやめてほしい。威圧的といっても殴ったり怒鳴ったりまではいかず、”あっ、ちょっとおかしいな、私今怖いと思っているな”程度のことなのだが、それでもかなり嫌な気持ちになる。
・ちょっと声を荒げられるだけでもこんなふうになるのに、暴力や暴言が飛んできたらどれだけ怖いんだろうと思う。
・先日Twitterで、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて歩いていたら赤の他人がぶつかってきた上に因縁をつけてきた、みたいな動画がタイムラインに流れてきたのだが、キャプションだけで恐ろしすぎて動画を観ることができなかった。
・子どもと出掛けているときにそういう心ない人間の被害に遭うと、被害者であると同時に力不足の保護者として自分を責めてしまって心が引き裂かれるだろうなという予感がある。
・周りをよく見て注意を払っていれば心ない人間の突撃を避けられたんじゃないかとか、そもそも今日出かけたりしなければこんな目には遭わなかったとか、そんなものは無意味な仮定であって因縁をつけてきたほうが圧倒的に悪いに決まっているのだが、私だったらきっとそんなことを考えてしまう。理性と生々しい痛みの狭間で心がぐちゃぐちゃになる。
・何らかの被害に遭った時、純粋な気持ちで加害者を責め立てることができるのはむしろ外野の特権なのではと思うことがある。だから、外野が”もっとお前が気をつけておけば良かったんだよ”とか、心ない言葉を掛けているケースを見るとゾッとする。そんなことは、被害者が一番深く理解しているはずだからだ。被害者は外野の何倍も、実感を伴って繰り返し後悔しているだろう。
・その後悔は、心ない加害者さえいなければ、しなくて良かったはずの後悔である。実際に受けた被害そのものによる痛み、しなくて良かったはずの後悔、そして無神経な他人の手で自分の内面が無理矢理書き換えられる不愉快さ。
・全てが不愉快で許すことができず、被害を受けたのは赤の他人であるにも関わらず、加害者に対して”お前は何をやったのか分かっているのか?”と問い詰めたくなってしまう。
質問に答えます。
私は褒められても怒られても、あまり自分自身が褒められたり怒られたりしているという実感がない。
褒めてくれている人は偶然その人にとって都合の良い私の一面を拾い上げることができただけだし、逆もまた然りだと思っている。
褒めもミスも、いずれもかりそめのものです。本当のあなたはあなただけが知っている。恐れず評価を受け、なるべく高い点数を狙っていくのも人生の攻略法の一つだと思います。
夫が決めて、私は”良いと思う”と同意した。実際良い名前だと思う。
子どもと私の関係性のパラメーターとして、名前が全く無関係だろうなという予感があったので、夫に決めてもらいました。
自分一人で頑張っていても、基本的には生まれ持った性格って変わらないと思います。
変わるとすれば、あなたの頑張りで出会えた人のことをあなたが好きになって、影響を受けた時だと思います。”この人はすごい、私、この人のことが好きだ”と思えた時、どうして自分がそう思ったのか気になりませんか?
頭が良いからだったり、リスクを冒すことに対する恐怖心がないからだったり、人を好きになる理由は様々ですが、一度興味を惹かれれば、あなたは必ずその人から何らかの影響を受けます。
抗った先に、何かがあるかもしれない。頑張れるところまで頑張ってみてください。そこで出会った誰かがあなたの人生を変えるかもしれません。
今日の回答は以上!
たくさんの質問やご相談、ご意見やおすすめの作品・食べ物・Youtubeチャンネルなどいつもありがとうございます。生活の中で確実に影響を受けております。引き続きあなたからのお便りをお待ちしております。
やっと週末が過ぎた。明日から仕事だと思うとちょっとほっとします。それではまた、火曜日の更新でお会いしましょう。
Big Love…