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安全第一

こんばんは〜、日曜日のnote更新だよ。疲れすぎて頭がごちゃごちゃだから今日は短めだ。

今年度から習い事の編成を変えたせいで、日曜日の自由時間が皆無になってしまった。

今まで日曜日は4歳児が習い事に行っているあいだのわずかな自由時間でnoteを書いていた。その時間がなくなり、後にはひたすら育児のみの日曜日が残った…どうしてこうなった(習い事の編成を変えたのは私である。全て私が悪い)。

最近この本を読んでいる。

私自身には(おそらく)自閉の傾向があるのだが、4歳になる娘にはあまりそのような印象がない。自分自身の幼少期の経験を基に娘に寄り添うぞ!と思っていたのだが、社交的な娘の性格的に陰気な母のアドバイスはおそらく不要っぽい。人生ってままならないね。

私は小児精神の領域に個人的な興味があり、この本もその興味の延長線上で買って読んだ。育児書としてではなく、医学的な興味に基づいて買った本だったのだが、自分自身の育児に対する指針になるような記述が多かった。

子どもに接する時、まず親がリラックスして友好的な態度であることが最も重要である。こう書くと”当たり前じゃん”と思われるだろうが、ご存知の通り、子どもと接していると疲れてぐったりしたり、何もかもが思い通りにならないことにイライラしてしまうことは誰にでもある。
それでも子どもはこっちの気持ちが落ち着くのを待ってくれたりはしない。常に自分の人生に全力投球、こっちの都合などお構いなしなのが子どもなのだ。

そういう時、親であるこちらの取るべき態度は何なのか。今までは、ぐったりしたりイライラしていても、そういう感情を無理矢理押し殺してでも一緒に遊んだり、躾として言うべきことは言ったりすべきなのだと思ってきた。遊びや躾は、私にとってこなすべきタスクだった。こちらの感情が波打ったくらいで、タスクをこなすことをサボるわけにはいかない。

しかし、どうやらそれは(この本によれば)間違っていたらしい。まずは親がリラックスすることが最重要課題なのだそうだ。

声のトーンは適切な抑揚があり、子どもに対する思いやりがあるか?力の抜けた姿勢で、意識を子どもに集中させているか?

これらがクリアできていなければ、子どもは”自分は安全だ”と感じられず、親が何を言ってもそのメッセージはきちんと伝わっていかないそうだ。確かにそうかもしれない。自分よりもずっと背が大きくて、経済的にも精神的にもこちらを支配してくる相手が不機嫌なことほど恐ろしいことはないだろう。

まずは安全第一。子どもの頭や体を育てるための遊びも、社会で生きていくために必要な躾も、安全がなければうまく機能しない。

週末になると子どもと過ごす時間は長くなる。子どもを育てるということは、自分以外の人生に責任を負うことだ。何とかして少しでも有意義な一日にせねばという使命感のあまり、疲れやイライラを隠しきれずにタスクを消化しようとしていた時期がずいぶん長かった。

親が機嫌よくいることが何より大事だと気づいてからは、使命感由来の気負いがなくなった。疲れたりイライラしたら、”ちょっと掃除してくるわ〜”とか、”夕飯作るから〜”とか適当に用事を作って洗面所だの台所だのに逃げる。洗濯物を畳んだり料理をしたりしているうちに気持ちが落ち着く。機嫌が良くなって余裕ができてから、子供のもとに戻る。こう決めてからも、案外タスクの消化率は変わらないのが意外だった。無論、子どもが一人で集中して遊べる時間が長くなったことがかなり大きいが。

『発達障害からニューロダイバーシティへ』は半分くらい読んだところだが、まだまだ育児に役立つ記述が多そう。引き続き読んで、面白い知見があったらまた書く。

Big Love…