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完璧な日は2度と来ない

ここ1週間くらい風邪をひいていて、数日前は診療中に咳が止まらなくなったので気管支を拡張する薬を吸入しながら仕事をした。脱水状態で点滴を受けながら当直をしたことはあったけれど、吸入しながら仕事をしたのは初めてだった。オタクなので、”実績解除…”と思いながら働いた。

若い時は風邪なんて数日で治っていた気がする。最初に喉が痛くなって、そのうち咳が出るようになって、でもあっという間に治ってしまう。薬を飲む必要もなかった。

でも最近は風邪をひくと全然治らなくて、症状をかなり長く引きずるようになった。半年くらい前に副鼻腔炎を拗らせて入院一歩手前になって以来、風邪をひくと決まって副鼻腔炎を繰り返すようになり、抗生剤を飲まないと完治せず、顔の痛みで毎回苦しんでいる。

夏頃に新型コロナウイルスに罹患した後から、咳がかなり出るようになってしまった。私はいわゆる新型コロナ後遺症の専門外来を受け持っていないが、元々私のかかりつけだった患者が新型コロナに感染して後遺症の相談を持ちかけてくることはあり、そういう時はなるべく親身に対応するようにしている。自分もしんどい思いをしたので、後遺症で困っている人の気持ちはよく分かるからだ。

咳以外にも後遺症として思い当たる節はあり、あまり認めたくはないのだが、記憶力が明らかに落ちている。物の名前が結構な割合で思い出せない。

3歳児とポケモンの名前を当てっこして遊ぶことがしばしばあるのだが、以前はパッと出てきていたはずのポケモンの名前が全然出てこなくてもどかしい思いをする。幸い仕事では似たような現象は起きていないから、脳が重要度が低いと判断した情報が取り出しづらくなっているのかもしれない。いつか忘れてはいけない予定をすっぽかすのではないかとヒヤヒヤしている。

それから、私は元々不器用なタイプなのだが、手先がさらに不器用になった気がする。これは新型コロナウイルス感染直後に最も症状がひどく、洗剤の入ったボトルを取り落として床を洗剤まみれにしたり、果物を剥きながら包丁の先を指に食い込ませてしまい、手を血まみれにしたりしていた。ベッドで寝てばかりいたから握力が落ちたのかな、と思ったのだが、一番ひどい症状は過ぎ去ってくれたが、巧緻運動がいまだにうまくいかない。こういう時、外科医だったら致命的だったなと思う。

後遺症を疑うようなさまざまな症状はあるのだが、特に医者にかかることもなく普通に生活している。色々な症状があってもあまり気にならないのは、こういう不調は既に子どもを産んだ時に経験済みだからかもしれない。

子どもが生まれてから明らかに物覚えが悪くなった。すぐに疲れてベッドに横になるようになった。それをショックだと思う暇もないくらい出産直後は忙しすぎて、子どもが3歳になった今やっと、ああ、随分いろんなところにガタが来ているなあと思う。

小学校低学年の頃、算数のテストで初めて60点台を叩き出して、ショックすぎてランドセルの中にしばらくテスト用紙を隠したままでいたことがある。隠している間に横浜の方に家族で旅行をすることになって、旅行自体はすごく楽しかったのだけれど、テスト用紙のことがずっと気がかりだった。

テストを隠したりしなければ、旅行の楽しさを完璧に楽しむことができたのに馬鹿なことをしたなあと思った。結局旅行から帰った後にテスト用紙が見つかって、ベコベコに怒られた。

あの頃は気がかりなことが片手に収まる程度しかなくて、それさえ取り除けばいつだって人生は完璧だった。嘘をついたらごめんなさいをする。隠していたものはいずれバレて叱られる。そうやって一つ一つの憂いを取り除けば、人生には一点の曇りもなかった。

決して解決しない類の憂いが段々と増えて、もう2度と完璧な幸福は訪れないのだと確信するまでには随分時間がかかった。私がちゃんと諦められたのは、20歳を過ぎてからだったような気がする。

体調に関しても同じだ。風邪をひいても、もうスッキリと治ることはない。常にどこかにガタが来ている。もう2度と完璧な人生は訪れないが、若い頃なら感じたであろう絶望にはぼんやりと靄が掛かっていて痛みはない。穏やかな気持ちでいられるなら、歳を重ねるのもそう悪くないと思える。

Big Love…