見出し画像

唇は血の色

こんばんは。通勤電車の中でこれを書いています。

今日は質問回って言うほどでもないんだけど、まさに今答えたくなるような質問がいくつか来ていたので答えます。

こんにちは。紺さんは自分の子供に対しての一人称は“ママ”ですか?妊娠中からSNSでママパパの自称している方たちを見て「わぁ、浮かれているな〜」と思って以降(もちろん素直でいいことだと思います)、私は子供が生まれてもママと呼ばれるのも自称するのも小っ恥ずかしいし、私がママ?といつもよぎってしまいます。いつ頃から慣れるものなんですかね。

いや〜、ずっと"ママ"呼びでしたね。この質問を取り上げたのは、ちょうど最近少しずつ、子どもの前で自分をママ呼びするのをやめようとしているところだからです。

あなたが言う通り、自分をママと呼ぶのって冷静になってみると結構恥ずかしいですよね。どうしてこんな恥ずかしい真似を4年も平気でやってきたんだろう。

子どもが私のことをママと呼ぶから、というのは理由として不十分な気がします。職場では患者さんにも看護師さんにも"先生〜"って呼ばれてるけど、"あのね、先生はね"なんて言ったりはしないし。

子どもにものを教える際に、"●●する時はまずママに言ってね"って伝える方が、"まず私に言ってね"って伝えるより分かりやすいのがママ呼びの理由のひとつかもしれない。幼い子どもにとっては自分が中心の世界しか存在していないから、ママはママだしパパはパパ。ママにとってパパは夫だったり、患者さんにとってママは先生だったりすることが理解できない。

だから、子どもの狭い世界に寄り添うつもりで、私は自分のことをママと呼んでいたのかなと思います。

でも、段々と子どもの世界も広がってきて、ママはどうやら自分といない時に仕事をしているらしいとか、全然自分が知らない友だちと遊びに行っていることもあるらしいとか、4歳なりに理解しつつあります。語彙も増えて、私、とか僕、とか俺、が一人称であることもどうやら理解している。

だから、そろそろ私も自分をママって呼ぶのはおしまいでもいいかなと思っています。なかなか癖が抜けないけれど、少しずつ戻していこうかなと。

紺さんこんばんは。先生あのねをやっていた者です。 先生あのねは、小学校低学年の頃に宿題で出される、"あのねちょう(帳)"に、先生あのね…と、今日の出来事を日記形式で伝える作文です。懐かしいな…さっきの質問を読んであのねちょうの存在を思い出し、若干のノスタルジーに浸っております。先生あのね…明日も仕事頑張るね…

これはTwitterで私が質問に答える形で、"先生あのねって何?"とたずねたことに対する回答ですね。似たような回答が複数来ました。

あのね帳、全く馴染みのない文化なので調べてみたところ、神戸発祥らしいです。

先生に宛てて書く交換日記みたいなもので、今日あったことなどを書かせて作文や字の練習をさせるらしい。

これは良いアイデアだなあ。書く相手が明確だから内容を決めやすいとか、短くて簡単な文でも許されそうとか色々メリットはあるけど、何より書き出しが決められているのがいい。

私もnoteを更新する時大抵、"週に3回も書くことがわけがないだろ。どうもこんばんは、●曜日のnote更新です"と初めに書くようにしている。これは本当に書くことがないからありのままの気持ちでもあるけど、何よりこんなどうでも良い一文が呼び水になって、その後の文章がするすると出て来やすくなるから、だったりする。

真っ白な紙に向かうより、"先生あのね"の一言が決まっているだけで、文章は格段に出てきやすくなるんじゃないかなあと思う。

今日は退勤後、予約していた基礎化粧品を受け取りに百貨店に行った。

春が訪れた嬉しさで服と靴と化粧品を買い漁ったせいで今月のカード引き落とし額が洒落にならん感じだったので、"予約したやつだけ買う 予約したやつだけ買うぞ"とお題目のように唱えながら入店。

担当してくれた女性が私よりやや年上のめちゃくちゃ朗らかな方で、"あっ…これはヤバいぞ"と思ったのだが、あれよあれよと言う間にタッチアップ用の椅子に座らされてしまい、完全に主導権を握られてしまった。

肌に合う感じの色の新作のリップを何色かにこやかに試させてくれて、あっさり購入を決めてしまった。私はチョロい客です。


血色の良い、可愛い色の口紅だ。担当してくれた方に、口紅を買うのが数年ぶりですと正直に白状したら笑われてしまった。

新しい色が嬉しいので、マスクの下で隠れる時も口紅を塗ってしまいそう。明日からは密かに血の色の唇で出勤します。

Big Love…