見出し画像

そこにクイズがあるから

『群像』最新号と、『ユリイカ』のクイズの世界を読んで、クイズについて何か書きたい!!という気分になった。

ので、書く。

私が約1年ほど前から急にクイズにハマり始めたのは、noteを読んでくださっている皆さんならご存知のことと思う。好きなクイズの傾向は短文基本です。
早押しで勝負するのも好きだし、一人静かに座学で知識をつけるのも好き。もちろん、Youtubeでクイズに関する動画を見るのも大好き。初心者かつライトな楽しみ方をしていることもあって、クイズにまつわることは今のところなんでも楽しいと感じる。

クイズを始めた当初は、クイズを試験のようなものだと思っていた。正解に繋がりうる知識が頭の中にあって、それを他のプレイヤーよりも先に引き出せれば、勝ち。これは決して誤りではないのだけれど、1年ほど遊んだ印象として、クイズと試験は似て非なるものである。

結核の代表的な治療薬であるリファンピシン、イソニアジド、エタンブトール、ピラジナミドのうち、視神経障害が代表的な副作用である薬剤はどれ?

私が適当に作った問題

これは医師国家試験を通っていれば、9割以上が正答できる問題である。答えはエタンブトール。しかし、こういう問題は医学マニアが集まるカルトクイズとかでもない限り、早押しクイズの場で出題されることはまずない。

ベルリン留学中はロベルト・コッホに師事し、破傷風菌の純粋培養に成功したことで知られる、新紙幣の肖像になった医師は誰?

私が適当に作った問題

同じ医学関連の問題でも、2024年7月現在、クイズにするならこんなところだろう。北里柴三郎の名前は今月に入ってからニュースで幾度となく目にした。これなら出題されても文句はあるまい。

クイズで出題される知識には、その知識の知名度や出題したときの面白さといった意味での序列があり、共同体に特有のバイアスがある。

田村正資『批評 クイズが人生と交錯するとき』群像第79巻第8号

これは私の極めて短く浅いクイズ歴の中でも、同じように感じるところだ。仮に私がクイズの出題者になったとして、先ほどの抗結核薬の問題のように、私と似た経歴を持つプレイヤーだけが答えられるような問題ばかりを出題したら、それはひどく興醒めだろう。

ただ、専門的な知識がクイズにおいて全くの無駄かというと、そうではない。新紙幣が発行され、北里柴三郎の成し遂げた偉業が何度もニュースで読み上げられた今となってはメジャーな知識になってしまったが、コッホ・破傷風菌というキーワードが来たら答えは北里柴三郎だろう、くらいの推測は医学を齧ったことがある者なら新紙幣発行前から容易だったはずだ。

クイズで遊んでいると、”あの時の知識が、こんなところで役に立つなんて!”と嬉しくなる瞬間がしばしば訪れる。

”「ゆこう」「ゆこう」”で思わずボタンを押していた、答えが”陰陽師”の問題。夢枕獏の作品は、中学生の頃の愛読書だった。”「ゆこう」「ゆこう」”は作中で毎度のように安倍晴明と源博雅が交わす、お決まりのフレーズである。

”青年の木”というワードに反応した、答えが”ユッカエレファンティペス”の問題。これは江國香織の『きらきらひかる』において、主人公の家に置かれた観葉植物がユッカエレファンティペスだったので知っていた。ちなみに私の紺という名前も、この作品の登場人物からとっている。何度も読んだ大事な作品だから、主人公の家の観葉植物の名前も記憶に残っていた。

試験とクイズが異なるのは、私は決して”陰陽師”も”ユッカエレファンティペス”もクイズのための勉強の結果として答えに辿り着いたわけではないという点だ。
”これ、クイズに出そうだから覚えこ”と思ったわけでもないのに、何故か記憶の片隅に残っていた情報たち。何年も思い出さずに埋もれていたそれらが、問題文を読み上げる声に反応して突然発光し、その光に導かれるようにしてボタンを押す、あの瞬間。あれほど素晴らしいものはない。

ただ、私のクイズに対するこの思いは、初心者であるが故のものでもあると思う。クイズで勝ち上がるためには、自分の人生の中で出会ってきた概念を参照するだけではとても足りない。

クイズ文化は、過去の出題などにより形成された暗黙的なデータベースを持つ。

伊沢拓司『クイズの持つ「暴力性」とその超克』ユリイカ第52巻第8号

クイズが強い人たちの卓越した早押しには、暗黙的なデータベースの裏付けがある。なぜ山/で始まる問題の答えはジョージ・マロリーだし、間口が狭/で始まる問題の答えはうなぎの寝床である。強くなりたいならば試験勉強と同じように、傾向と対策を講じて挑む必要がある。

私はクイズを通じて新しい知識に出会うのが好きだが、それが必ずしも傾向と対策レベルまで定着せず、”面白いな〜!”で止まってしまうことも多い。クイズに熱い人から見れば、かなりの甘ちゃんだ。早押しクイズにあまり向いていない性格なのかもなあと思いつつ、負けても勝っても楽しいから続けている。

ただ、私がこんなふうに甘い遊び方ができるのも、クイズという娯楽を発展させてきた偉大な先人たちのおかげだと思う。今はオンラインクイズという文化も発展していて、全国どこにいてもインターネットで繋がって早押しをすることができる。みんはやなどのアプリを使えば、更に気軽にクイズに触れることも可能だ。クイズという娯楽が、大会に出ないと楽しめないものだったなら、私はここまでハマることはなかっただろう。

勉強をするなかで、人間の文明の歴史というのは、有形無形すべてのものに名前をつけてきた歴史なんだということがわかりました。そして、そうした研究を続けている研究者の凄さを知りました。なんだか知という海の波打ち際で貝殻を一つ拾ったように思います。海はどんどん深くなるし私は潜っていけないけれど、そこで得たものを持って帰った人からすこしだけ分けてもらうことの尊さを知りました。

宮崎美子『知という海の波打ち際で』ユリイカ第52巻第8号

尊敬する宮崎美子さんの言葉をお借りして恐縮だが、私もクイズという広く深い海の波打ち際で遊ばせてもらっている。先に開拓をしてくれた人たちがいたからこそ、私は無邪気に楽しむことができる。試験と違って、クイズには合格や不合格も、定められた試験日程も存在しない。新しい知識に出会う楽しみは一生続くから、死ぬまでクイズと楽しく付き合っていきたい。

Big Love…