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栄光のその先に

以下は2月8日から2月10日にかけての感情の覚書である。男子フィギュアを観戦した後の剥き出しの感情をありのままに書いているので、多少荒削りなのは許してほしい。


以前のnoteにも書いた通り、羽生結弦の深刻なファンをやっており、彼が出場する大会は固唾を飲んで見守ってきた。好きというのも違うし推しというのも違う、この感情は信仰に近い。私は羽生結弦を信じている。

2019年12月から、コロナウイルスの流行のせいで世界がガラッと変わってしまった。ゆく年くる年を見ながら、なんか中国でヤバいウイルスが流行り始めたらしいよ、と夫と話したことを覚えているが、あの時はここまで爆発的に感染が広がるとは思ってもみなかったし、こんなに簡単に世界が大きく変わるなんて知りもしなかった。2019年以前の写真を見ると、街中で誰もマスクをしていなくて驚く。飲み会も頻繁にやっていたし、ライブもイベントも旅行も行き放題だった。

そして何より、2020年に東京で行われる予定だったオリンピックが延期になった。私はスポーツ全般に興味はないが、オリンピックだけは別という人間で、4年に1度のこの時のためだけに全てを賭けて勝負に挑む選手たちのドラマを画面越しに垣間見るのが大好きだった。

しかし、2020オリンピックは酷かった。1年の延期が決まったが、2021年の開催の際には開催地である東京で感染が爆発していた。ワクチン接種率も今ほどは高くなく、病床は埋まり、重症者も多い中で強行突破としか言いようのない形でオリンピックは開催された。あれほど好きだった4年に1度の祭りをガウンとフェイスシールドとマスクを着けながら、患者さんの病室のテレビ越しに観た。参加した選手を責めるつもりはないが、オリンピックに向けていた感情がするすると萎んでいくのが分かった。失われた感情を追いかける気にもならなかった。失われたものはもう、どうしようもなかった。

北京で行われる冬季オリンピックが近づいてきても、以前のようなわくわく感は全く戻ってこなかった。東京で行われたオリンピックと同じかそれ以上に政治的な問題も絡み、そしてまたしてもコロナウイルスが猛威を振るっており、正直オリンピックどころではなかった。

そうこうしているうちに、2月8日の朝になった。出勤前になんとなくテレビを点けて眺めていると、男子フィギュアスケート、ショートプログラムの前の練習風景がライブ映像で流れた。目が、久しぶりに羽生結弦の姿を捉えた。彼は抱える呼吸器疾患や故障など様々な事情からグランプリシリーズ欠場の決断をしており、コロナウイルスが猛威を振るい始めてからは以前よりもテレビで見かける回数が明らかに減った。

医療従事者としてオリンピックへの反感に近い感情、発熱外来の大混雑に起因する仕事の忙しさなど様々な理由から今回はテレビ観戦も控えようかと思っていた。しかし、テレビに映る羽生結弦の姿を観た途端、前回の平昌オリンピックのフリーの演技を当時勤めていた病院の医局で固唾を飲んで見守ったこと、出産直後の入院中に再放送で観た彼の演技に涙したことなど様々な感情が胸に押し寄せて、しばらく立ち尽くしたままテレビ画面に釘付けになってしまった。

その日昼過ぎに行われたショートプログラムは、仕事の合間に同期の医者と一緒に観た。1人で観るのはあまりにも不安だった。めきめきと力をつけるライバルの存在、コロナ流行下で踏んだ舞台数の減少、前回のオリンピックから経った4年という歳月、右足関節の故障…いちファンでしかない私が色々と案じるのは愚かという他ないが、ただただ不安だった。こんなに祈るような気持ちで彼の演技を観たのは初めてだった。

結果は8位に終わった。2日後に控えたフリーの演技も必ずライブで観ようと決意し、2月10日、つまりこれを書いている本日は午前の仕事を死に物狂いで終わらせた。昼ごはんも食べずにテレビの前に滑り込んだのは、羽生結弦の演技のまさに直前だった。

今回のオリンピックに際して、もう観ずにおこうと思ったのは、恐らくオリンピックに対する反感だけが理由ではない。2連覇という偉業を成し遂げた羽生結弦に対して、ファンとして複雑な感情があったからだ。絶対王者として君臨してきた彼が、4回転アクセルに挑戦することは知っていた。点数を追わず、夢を追うスタイルを批判する人がいるのも分かっていた。

あり得ない仮定だが、私だったら2連覇を達成したまま、惜しまれて引退するだろうと思った。重圧を背負って、期待を裏切るかもしれないという恐怖と戦ってまで、どうして彼はリンクに立つのだろうと思った。完璧なまま大衆の記憶に残ることを彼は選ばなかった。

全ての選手のフリーの演技が終わり、彼が4位に決定した時、涙が溢れた。オリンピックで表彰台に立たない彼を観たのは、これが初めてだった。でも、その時にはっきりと分かった。私は絶対王者の羽生結弦を信じていたのではなく、無謀にも見える挑戦を繰り返し、自らの限界に挑み続ける彼を信じていたのだと。

2連覇を達成した彼にしか示せないものがあった。栄光のその先に何があるのかを示すのは、誰にもできることじゃない。様々な不安要素がある中で、羽生結弦はリンクに立ち、果敢に彼の夢へと挑戦した。

コロナウイルスが流行し、世界は大きく変わった。発熱外来を日々こなし、3歳の子供を育てる中で、自分がどうあるべきなのか、私はしばしば足を止める。周囲の目を気にして、無難な選択をしてしまうこともある。今後続く人生の中で、自分がどうすべきか悩んだ時、きっと北京のリンクに立った彼を思い出す。様々な困難を跳ね除けて、あのリンクに立つことを選んだ羽生結弦を。

Big Love…